炭鉱の街として栄えた筑豊地方。その中心となっていた田川について学べるのが、「石炭記念公園」と「田川市石炭・歴史博物館」です。
公園内には、45mを超える2本の大煙突や蒸気機関車、筑豊唯一の竪坑関係遺産である伊田竪坑櫓などが残されており、石炭産業全盛期の頃の様子を知ることができます。
また、博物館には、炭鉱で使用されていた道具や機械、炭鉱に関する絵画だけでなく、田川で発掘された埴輪や土器、民族資料なども常時展示されているので、石炭や炭鉱についてはもちろん、田川の歴史についても学べる施設となっています。
2011(平成23)年、山本作兵衛氏の描いた炭坑画など計697点が、国内で初めてユネスコの「世界記憶遺産」に登録されました。田川の炭鉱で警備員として働き始めた63歳の時から炭坑画を描き続けた作兵衛氏は、生涯で1000点を超える作品を残しました。
約630点もの作兵衛作品を所蔵している田川市石炭・歴史博物館では、2012(平成24)年の1月9日まで「山本作兵衛コレクション展」を開催しており、貴重な世界記憶遺産を見ることができます。
「月が出た出た 月が出た」で知られる「炭坑節」は、ここ田川で生まれました。明治時代から歌われていたというこの歌は、1925(大正14)年に編さんされた書物の中で「炭坑節(伊田町三井炭坑唄)」として収録され、今日まで歌い継がれてきました。
これらの無形の財産と共に、「炭坑節」詩碑や「炭坑節発祥の地」記念碑、炭坑節で歌われた2本煙突などは、炭坑節発祥の地・田川をアピールための貴重な財産となっています。
石炭産業の他にセメント産業も盛んであった田川には、現在も多くのセメント工場があり、セメントの原料になる石灰岩も田川で産出されています。
そのため田川には、福岡県の天然記念物に指定された「岩屋鍾乳洞」や、「ロマンスヶ丘」と呼ばれるカルスト台地など、石灰にまつわる自然遺産が数多く残っています。また、岩屋鍾乳洞の入口には、田川市の天然記念物である「バクチノキ」も生育しています。
岩屋鍾乳洞:福岡県田川市夏吉4688
“筑豊の炭鉱王”と呼ばれた伊藤伝右衛門が暮らした「旧伊藤伝右衛門邸」。1906(明治39)年頃に建造され、後に歌人となる白蓮を迎え入れたこの邸宅は、明治、大正、昭和初期に増改築を繰り返し、25もの部屋を設けました。
年下の青年と恋に落ち、絶縁状を新聞に公開して伝右衛門のもとを去った白蓮が、約10年の時を過ごした本邸では、九州初と言われる水洗トイレや洋風の食堂など、当時では珍しい設備の数々を見ることができます。
なお、2011(平成23)年には、庭園を含む約7600㎡の敷地が、国の名勝に指定されました。
旧伊藤伝右衛門邸では、山本作兵衛氏の描いた炭坑記録画や、作兵衛氏が生前に使用していた財布や花札などを展示しています。なお、こちらで展示されている炭坑記録画は、世界記憶遺産に登録された田川市所蔵の「山本作兵衛炭坑絵画」と同様の原画群で、作兵衛氏より飯塚市へ寄贈された作品です。
道具蔵を改装したという趣のあるギャラリーで、飯塚で生まれた作兵衛氏の作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。
炭鉱事業で財を成した伝右衛門が建てた本邸には、ステンドグラスや和風シャンデリアなど、豪華絢爛な設備が今でも残されています。
しかし、見た目を重視するだけでなく、床柱に名木のひとつである鉄刀木(タガヤサン)を使用したり、食堂の窓にガラスを使用したりと、伝右衛門は材質にもこだわりました。こうした一級品を使用しているからこそ、旧伊藤伝右衛門邸は今日までその姿を残せているのです。
京都から職人を呼んで作らせたという旧伊藤伝右衛門邸の内装を見る際には、あまり目立たない部分にも注目して下さい。欄間(らんま)や天袋、襖の引き手など、細かい部分にまで職人の技が光っており、伝右衛門が家の隅々にまでこだわり抜いて造らせたことが分かります。
また、畳が敷き詰められている長い廊下の天井は、特殊な板の張り方によって目に錯覚を起こさせる「矢羽天井」となっており、訪れた人々を不思議な空間へと誘います。
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開催: 2024年06月02日
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