九州各地の伝承されている「埋蔵金」の主なものを(1)(2)にわたって述べた。
まだ、あった。廣済堂出版「九州謎とき散歩」(山本鉱太郎著)から引用してご紹介しよう。
久根浜には安徳天皇の御陵があるし、和多都美神社には竜宮伝説があって静かな海面に大鳥居が浮かんでいる。
日本海海戦で日本海軍に撃沈されたロシアバルチック艦隊の巡洋艦アドミナル・ナヒモフ号(八五二四トン)の、いわゆる"ナヒモフの財宝"は、その後どうなったのであろうか。明治三十八年(一九〇五)五月撃沈されたナヒモフ号の将兵九十七人は、琴村の小学校や民家に収容されたが、当時一人の軍医がズックの手提げと皮製の中に相当のポンドを持っていた。莫大な軍資金をどこの港でも通用する英国貨幣に替えて積んでいた。船には時価一億円の金魂が積まれていたのではないかという噂がひろまり、昭和初年頃までに何度か金魂探しが行われたが、失敗に終った。
とにかく対馬は、数えきれないほどの謎を秘めたおもしろい島である。
美々津から大分県佐賀関にかけての海岸線は景色がいいので、日豊海岸国定公園に指定されている。この海岸線には浦城、熊野江、島野浦、古江、市振、宮野浦という六つの入江があるので、俗に六ヵ浦海岸と呼ばれてきた。島野浦は人口千百人ほどの漁民の小島で、東岸には豪壮な洞門があり、北側の海底をのぞけばテーブルサンゴの間で無数の亜熱帯魚が泳いでいる。
安政年間(一八五四~一八五九)この島に大きな木箱が流れつき、それをカツオ漁の者たちが発見して手オノでこじあけたところ、白骨と化した人間の頭骸骨があった。頭には金髪が残り、その上に赤や青の絢爛豪華な宝石をちりばめた黄金の冠が輝いていた。
漁師たちはびっくり仰天。黒潮に乗って南の国からやって来たのであろうか。宝石だけを抜きとれば崇りがあるとおそれた漁民たちは小島の一隅に埋め、お互い口をつぐんだ。厖大な宝石はそのままである。のちにはこれを調査したある大学教授が、当時メキシコに内乱があり、女王が殺されて海に流された史実があると語ったので、以来メキシコの女王の死体ということになってしまったらしい。その後、地元警察や海軍が発掘につとめたがさっぱりみつからなかったという。
さて、金髪の女性がかぶっていた宝冠は、いま島野浦のどのあたりに埋められているのであろうか。あるいは誰かが盗掘したのか。約百五十年間秘密のベールに包まれたままである。
似た話は、近くの浦城にもある。ここはかつて水軍や海賊の基地で、逃げるとき各地で集めた厖大な財宝をどこかに埋めていったが、いまだに行方不明。海賊の埋蔵金の話にはなにか夢がありロマンがある。