飯塚市歴史資料館を覗いてみよう!
飯塚・嘉穂の地は、約2000年以上前から、稲作文化が花開いた土地である。それを象徴する美しい遠賀川式土器をはじめ、稲作の必需品、石包丁(イネの穂摘み具)の大量生産、その富と権力を象徴する、立岩遺跡から発見された国指定重要文化財の前漢鏡(古代中国銅鏡)10枚など、数々の貴重な資料が一堂に展示されている。
巨大な甕棺群、ほぼ完全な形で保存されている渡来系弥生人骨、日本最古の絹織物、立岩の巫女が身につけていたガラスのヘアーバンドなど、当時の一級品がそろっている。
こうした貴重な副葬品の発見から、この地は邪馬台国の時代に栄えた「不弥国」の有力候補地となっている。ここからは、漢の都、長安へ、また、女王卑弥呼のいる邪馬台国へも通じていた。日本古代国家形成のなぞを解く、邪馬台国と卑弥呼を探す旅は遠賀川流域の飯塚から始まる。
宇佐神宮は全国4万余の八幡宮の総本社。奈良朝以前はヤハタの神と呼ばれた原始宗教。シャーマニズムで呪詛を行っていた。卑弥呼も同じく呪詛をよくしたところから邪馬台国はこの地方の有力な根拠。本殿は国宝、応神天皇、比売大神、神皇皇后を祀る。
社殿のある小倉山そのものが大きな古墳の地、社殿の下には石棺が埋まっている。この地に葬られた人こそ卑弥呼であるという説も有力だ。
「宝物殿参集館」には国宝・孔雀文磬一面、はじめ重文朝鮮鐘、懐良親王の奉剣などが多数収蔵展示されている。
ホール中央の窓から前方後円墳の王塚古墳が見渡せるように設計され、古墳のビデオ映像が興味を引きつける。王塚古墳の石室を中心に時代背景の説明も。
昭和9年工事中に偶然発見された。現在は壁面には赤、緑、黒、白のとりどりの色で描かれた矢筒や盾、駿馬が描かれその多彩、絢爛さは装飾古墳の中でも群を抜いている。6世紀のものとされる。一般公開は春秋の2回。
その装飾の豪華さから有力な権力がこの地に存在していたことが判る。
佐賀県脊振山地から延びた丘陵、その丘の上に吉野ヶ里遺跡が一部復元された弥生時代の環濠集落がある。当時は、200棟をこえる建物があった。現在の復元はごく一部だが、そのスケールの大きさが判る。田園風景が広がる少し先は(かつては)海が迫っていた。
マスコミが騒いだ。あたかも卑弥呼の拠点がここであるように。しかし、まだ考古学的にも史学的にも検証は終っていないとのこと。
「吉野ヶ里遺跡展示室」には環濠集落の大きな(260分の一)復元ジオラマがあり、全体像が一目で。出土遺物は生活用品の土器はじめ銅剣類、青銅器関連、鉄斧‥‥など美しい出土品が並ぶ、ビデオルームでは30分の解説入りで吉野ヶ里が紹介されている。