原始絵画に込められた除魔鎮魂の思想、装飾古墳は誰がつくったのか。邪馬台国はどこにあったのだろう。卑弥呼はだれか。これは古代史最大のなぞといわれ、私たちを魅了し続けるテーマである。
宇佐をふり出しに最近の発掘成果により、今新たに注目されている遠賀川流域の装飾古墳・古代遺跡と九州国立博物館、邪馬台国が見える吉野ヶ里遺跡を訪ねてみよう。何か新しいあなたなりの発見があるかもしれない。
余談だが、志賀島から発見された「金印」、これは、後漢の初代皇帝・光武帝が西暦57年に、日本(倭の奴国王)に使者を遣わしたときに贈ったものである。後漢書にそう記されている。それが後になって江戸期天明4年(1784)に志賀島の農夫の手鍬にあたって発見されたもの。このように偶然の産物が多いが、飯塚市から大きな弥生の遺跡が出土し、新しい鏡や青銅器が発見されている。ひょっとしたら、邪馬台国はここかも知れない。
まだまだ多くの説があることはご存知の通り。
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遺跡は古代からの手紙である。遺跡には数々の真実がこめられ、私たちに語りかけている。遺跡のあるところに立ち、風や空気にふれてこそ感じるものがある。古代の遺跡を訪ねる旅は、一人ひとりの心の旅かもしれない。
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