作家川端康成は絶讃した。作品「波千鳥」にヒロイン文子の手紙に託して飯田高原の美しさを次のように述べている。「私は飯田の郵便局や学校のあるあたりまで出て、高原の真中をゆっくりと九重の山々を望みながら歩くことにしました。
その南北を私は渡ってゆくわけです。広い原にさしかかりますと、行くて真直ぐの三保山と星生山とのあいだに硫黄山の煙が遠く見えました。山々は晴れ渡っています。右手の涌蓋山の空に淡い白雲のかけらが浮いているだけでした。
高原のなかほどらしい長者原まで来て、私は松かげに長いこと休んでいました。長者原には松のまばらな群れが散らばっていて、私は草原のなかの松に誘われたのでした。少し歩いて、また松かげで、おそい弁当を食べました。二時ごろだったでしょうか。広い草もみぢを見まはしていますと、私の位置から言って、日光を受けているところと、逆光になっているところとでは、色が微妙にちがいます。
と昭和二七年一〇月、同二八年六月、二度に渡る踏査をもとに飯田を措いている。
「地獄のなかでは、血の池地獄と海地獄が妖艶とも神秘とも、なんとも言ひやうのない色でした。血の池地獄は底から血の噴き出すやうな色で、透明な湯にとけた、その血の色がなまなましく、しかも池に湯気が立ってゐます。海地獄は池の湯が海のやうな色なので名づけられたのでせうが、このやうに澄み通って静かに薄あをい水の色は見たことがありません。町を離れた山の宿の夜ふけに、かうして血の池地獄や海地獄のふしぎな色を思ってみますと、夢幻の世界の泉のやうです。もし、母や私が愛の地獄にさまよってゐたとしますと、そこにはあのやうに美しい泉もあったのでせうか。地獄の湯の色に私は恍惚とします。」