明治32年陸軍の医部長として小倉に赴任した森鴎外が最初の1年半住んだ家。小倉区鍛冶屋町にあり、町屋作りの家屋は、建築物としても貴重。一般公開されている。鴎外が軍務の傍らアンデルセンの「即興詩人」などを翻訳したのはこの時期。また、小倉に滞在した期間は「小倉日記」をつけていた。なお小説「独身」「鶏」はこの家を舞台に書かれたもの。
火野葦平資料館は若松市民会館内にあり、復元された書斎をはじめ生涯をたどる写真パネル、従軍手帖、河童絵、日記やノートなど葦平ゆかりの資料が展示されている。「花と竜」「革命前後」などの作品を通して激動の昭和史を象徴的に生きた、葦平の当時の様子をうかがい知ることができる。
明治の文豪徳富蘆花の夫人愛子は菊池隈府生まれ。その多彩な才能は蘆花の作品にも大きく影響を与えた。また夫婦仲の良さも知られている。菊池市は隈府(わいふ)の名を徳富蘆花・愛子夫婦のゆかりの地とともに「おしどり夫婦の里」づくりに取り組んでいる。また熊本市には徳富記念館がある。ここは徳富蘇峰・蘆花兄弟が幼少年時代をすごした旧邸で、二人の著書や遺品や書簡などの展示がある。
小泉八雲は松江中学から五高の英語教師として熊本にやってきた。3年間在熊した。最初の1年間過ごした家が記念館となっている。繁華街の裏手にひっそりとたたずむ旧居で小泉八雲は毎日神棚に拍手を打ち、五高へ出勤していたそうだ。
九重連山に向かって建てられた自然石の碑の表面には「雪月花時最思友 康成」の川端自筆の文字が刻まれ、裏面には九重を主舞台にした小説「波千鳥」の中の飯田高原を美しく描写した一節が記されている。
●由布院、湯平など周辺にとりどりの温泉と宿、ホテル、お好みに応じて選ぶとよい。
●阿蘇も温泉のメッカ、菊池温泉に泊るのもおすすめ。
大分では黒牛、肥後ではあか牛の特産あり。