文豪・夏目漱石にとって、熊本は思い出の地。今から約百年前、漱石29歳の時、五高(現熊本大学)の英語教師として熊本に赴任し、四年余りを過ごした。熊本で東京から嫁を迎え、熊本を舞台の「二百十日」「草枕」を書いた。三四郎の素材も熊本で。
夏目漱石が熊本に赴任したのは明治29年4月13日池田停車場(現上熊本駅)に降りた漱石は、人力車に乗り、京町の新坂にさしかかった時、眼下に広がる緑したたる街並を見て、思わず「ああ、熊本は森の都だなあ」とつぶやいたと‥‥。
「山路を登りながらこう考えた。
智に働けば角がたつ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。」
「草枕」の道は、熊本市から金峰山系の2つの峠を越えて天水町へ至る約14㎞の道程。漱石が愛した石畳の道は、閑静な竹林にかこまれ、今もなお、当時の面影を色濃く漂わせている。金峰山のふところのこの道は、今も熊本市民にとって、身近で親しみやすい散歩道のひとつ。
梅崎春生、福岡出身。修猷館から五高、東大国文科。戦争中海軍に招集されて九州の陸上基地を点々とした。「ボロ屋の春秋」「狂ひ凧」で直木賞。
梅崎春生の出世作「桜島」、第二作「崖」、絶筆といえる「幻花」の舞台はすべて桜島、指宿、坊津が舞台になっている。鹿児島は彼の文学に決定的な影響を与えた。風景小説の「桜島」では『桜島は代赭色の巨大な土塊の堆積であった。赤く焼けた溶岩の不気味なほど重大なつみ重なりであった』。また『赤と青の濃淡に染められた山肌は、天上の美しさであった』と絵のように描く。「崖」では地下防空壕で『夕陽を浴びた時などの崖の肌は異様な赤さで私の視界にそそりたち・・・』と指宿の北に聳える崖を描く。「幻花」の舞台は坊津。ここで彼は海軍の一兵士として終戦を迎えた。
その追憶の旅に「旅」の取材旅行に出る。密貿易屋敷が登場する。「おそろしいほど新鮮」「すさまじい青さ」の海は今もそのまま。広漠の彼方に竹島、黒島が霞んで見える。いま和楽園公園の中に直筆の碑がある。
「人生、幻花に似たり 梅崎春生」。近くに歴史民俗資料館がある。
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三部作とといえるこれら作品の中に投影された戦争というものを、おぼろにでも理解して「知覧」に行くとよい。
本物のみが黙して、語っている。