(講談社刊
隠れ念仏と隠し念仏 五木寛之著)
鹿児島市から北西に車で三十分ほど走ると、鹿児島市の郡山という町がある。
この付近を週一回だけ、町民の足代わりの地域バスが走っているのだが、私が目指す場所近くのバス停留所には、異様な言葉が書かれていた。なにも事情を知らない人は、それを見るとびっくりするかもしれない。
「かくれ念仏洞前」
それが、このバス停の名前である。
車を降りて少し歩くと、すぐに鬱蒼とした木々が生い茂る山道にでる。杉木立の木漏れ日のなか、すれちがう人もいない道を、息をきらせながら登っていく。
突然、目の前が開ける。巨大な岩がそびえていて、下のほうに小さな三角形の裂け目がある。それが目指す洞穴の入口だった。大人が膝を折り、腰を曲げてやっとはいれるくらいの大きさである。
それは、いままで見たこともない不思議な場所だった。裂け目からなかへはいってみると、そこに予想以上に広い空間があった。
奥のほうには祭壇があり、小さな阿弥陀如来像が置かれている。マッチでろうそくに火をつけると、外からはよく見えなかった洞穴の内部がほのかに浮かびあがってきた。
目を閉じて合掌していると、地の底から、人びとの祈りの声が響いてくるような錯覚にとらわれた。
私が見たのは、九州南部に点在する「隠れ念仏洞」のひとつで、郡山町の花尾神社の近くにある「花尾隠れ念仏洞」と呼ばれるものである。三百年にもおよぶ念仏禁制の地、薩摩藩の真宗門徒にとって、「隠れ念仏洞」は聖地ともいえる場所だった。
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しかし、こういう場所があることを、どれくらいの人が知っているのだろうか。かつて日本がキリスト教を禁止していた時代に、信仰を棄てなかった「隠れキリシタン」のことは、学校の授業でも教えているし、大勢の人びとが知っている。
しかし、九州南部の鹿児島および熊本、宮崎の一部で、三百年あまりものあいだ浄土真宗が禁制になっていたことや、「隠れ念仏」と呼ばれる真宗門徒が存在していたこと、彼らがいかに迫害を受け、どれほど命がけで厚い信仰を守ってきたかということは、ほとんど知られていないのではなかろうか。
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この「隠れ念仏」の里は、九州南部の鹿児島、熊本、宮崎にかけて広がっている。このあたりからは、「見えない"日本人のこころ“を探す」というこのシリーズのなかでも、非常にくっきりとした、そして不思議な主題が浮かびあがってくる。