西本願寺鹿児島別院の境内には真宗禁制時代、役人たちが信者をとらえ、この石を抱かせて自白を迫ったと伝えられる涙石がある。また、見かけは箪笥で扉を開くと仏壇という「隠し仏壇」が東本願寺鹿児島別院に保存されている。
花尾山のすそ伝いの道路から山道を200mほど登った、杉木立の中にある洞。高さ1.4m、幅8m、奥行き4mで、信者は浄土真宗の禁制が解かれるまでここに本尊を隠し、夜になると念仏行に励んだ。
宮之城・岩壁の中腹にある洞窟でここにも信者が参集した。宮之城には差別のなか念仏を貫き通し、人間解放を主張した番役、萬次郎翁の顕彰碑もある。
山之口町にも薩摩藩の一向宗弾圧の中で信徒がナムアミダブツを唱えた念仏洞がある。狭い入口から地下道へ。現在は立入禁止となっている。 近くの安楽寺は信徒を拷問した場所に建つ。リーダーの上田伝兵衛が処刑された(明治3年)場所に碑が立っている。このお寺は、かつて飫肥藩主が宮崎県清武にあって、薩摩の信者の避難場所だった。明治36年に山之口町の信徒に懇願されて現在地に移ったもの。
都城市山田町には,「平山隠れ念仏洞」がある。旧藩時代、島津藩の厳しい念仏禁制の中で、門徒は役人の目をかすめ、隠れ洞窟で信者と連絡をとりあっていた。このほか同町には「上椎屋」「大古川」「山内」の4つの隠れ念仏洞が残っている。このかくれ念仏にかかわりがあり、殉教した乗海寺釈無涯の墓は宗久寺(東諸県郡国富町)にある。