終戦直後、当時の小倉の駅にほど近いとある飲食店が、ソース焼きそばを作ろうとしてそば玉が手に入らず、干しうどんを湯がいてソース味で炒めたのが最初と言われ、今では全国に広がっている。
福岡市博多区にある承天寺は、中国から製粉の技術を持ち帰ったとされる聖一国師を請じて開山しており、その敷地内には「饂飩蕎麦発祥之地」の碑が残る。
九州各地の豚骨ラーメンのルーツは、久留米の屋台であった、という説は、今や定説に近い。スープに豚骨を使うという発想は、長崎ちゃんぽんの影響を強く受けていると言われ、九州でなければ生まれることの無かったラーメンと言えるだろう。
寛永の中期(1630年代)小豆島の僧が諸国行脚の旅に出たが、神埼宿で病に倒れた。それを助けたのが、伊之助という神埼町商人であった。僧はお礼として、小豆島の名産そうめんの製法を伝授した、というのが始まりとされる。
江戸時代に島原半島を襲った飢饉の際、六兵衛という人が考案したと言われる、さつまいもを原料として、押し出し式で作られる麺料理。押し出し式のため、うどんなどよりも麺は短く、鰹節と醤油によるダシ汁で食べる。また、対馬にも同じ名前でやはりさつまいもを原料とした麺料理が存在するが、製法は若干違う。
島原地域は天草・島原の乱により、当時多くの働き手を乱で失っていた。その後、幕府の命により島原に移住してきた住民の出身地が小豆島であったため、小豆島のそうめんの製法が伝わったのが由来、とされている。全国第2位の生産量を誇る。
ちゃんぽんの由来、語源については諸説あるが、中国福建省の料理人が中国人留学生向けに安くて栄養のある料理を食べさせてあげよう、として作り出したボリュームある料理が始まり、と言われている。皿うどんは、材料はちゃんぽんとほぼ同じ。最初は、ちゃんぽん麺を炒めたものだったが、そのうち油で炒めた細麺も生まれ、今の形になった。