薩摩の海岸線は何かと中国はじめ海外交流の接点となったところである。鑑真が日本に仏教を広めるため、苦労の末やっと上陸したのが串木野からさらに南の秋目浦(秋妻屋浦)だ。朝鮮陶工の上陸の地は串木野。唐に入る道という意味の入唐道は坊津の別名。徐福ら一行が上陸していたとしてもなんら不思議はない。
佐賀を再び船出し、九州の西海岸を南下した徐福の一行は串木野の海岸に上陸。徐福には徐市(じょふつ)という別称もある。いちき串木野市の市来という地名は「徐
市」が来た町という意味もある。また、霊峰冠岳は薬草が多く自生する山として知られる。なお、冠岳は徐福が王冠を止めたことからついたといわれるほどゆかりが深い。
坊津から、上陸した徐福は山に入り何年も薬草を探したが、見つからなかった。峠に上ると海岸に自分たちの船があるのが見える。がっかりし、力が抜け倒れこむ。そこを「がっくい鼻」(がっかりの意)という。
徐福一行は、九州西海岸沿いに進み、大隅半島を回り、東海岸に沿って北上。昔は海岸線だったと考えられる蓮ヶ池自然公園付近に寄港し、宿泊したものと考えられる。このあたりを芳士というが、徐福が何らかの足跡を残したためにこのような地名がついたものと考えられる。
この後、徐福一行は熊野、愛知などを経て、富士山麓で亡くなったとされている。ところで、徐福が今も日本各地で地名として残り、祭られるなど敬愛を集めているのはなぜ。稲作、養蚕の知識や技術をもたらしたこともあるだろうが、もっと心に訴えた愛や希望もあったに違いない。それを探してみよう。
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