一人の俳人が歩いた路が観光ルートになろうとは本人も全く思っていなかっただろうに。
「芭蕉じゃあるまいし」とその本人山頭火は驚くだろう。「日記を焼くのでなかった」「もっと行乞の記を書いておくのだった」と悔やむに違いない。(山頭火の足跡は広く九州北部から熊本、九州中央山地深く及んでいる。)
それまでの「日記」を「焼きすてて日記の灰のこれだけか」、次の行乞記は昭和5年9月の日奈久温泉から始まっている。
日記の昭和7年4月20日までのものを大山澄大氏が収録し(「あの山超えて」)たものをベースに、この旅を組み立てた。
芭蕉は旅の願いとして足にかなった草鞋と、よき宿の二つとした。山頭火のよき宿は、一浴一杯、一人一室、一灯だった。
山頭火の足跡を辿るプログラムは、決して容易ではない。旅程は気紛れに分散し、一所不定である。歩かないと辿れない。
山頭火の人気は衰えない。彼の出自はよく知られているように山口県防府。後に熊本市に移り住み、額縁ブロマイドを商っていた。その店はいま熊本市下通りダイエーの一隅に当る。山頭火は店を妻に任せて、ひたすら放浪に。
熊本在住の宮中歌会始めの選者・安永蕗子先生は「よく父のとこに遊びにきていましたよ、私の幼い頃ですが」とこともなげに話す。熊本には山頭火の足跡ゆかりは随分と多い。
ここではひとまず、思いきってカットして、二泊三日の行程にした。
「歩かない日はさみしい/飲まない日はさみしい/作らない日はさみしい」旅好きのひとよ、旅してほしい。
大分空港~(55分・バス)由布院駅~(約10分・JR)湯平温泉~(50分・バス+約80分・特急)日田~(60分・バス)耶馬渓~(45分・バス)中津市
中津市~(約15分・特急)行橋駅~(約60分・平成筑豊鉄道)田川市~(約85分・JR) 二日市温泉又は(約70分・タクシー)原鶴温泉
二日市~(20分・JR+40分・九州新幹線)八代駅~(12分・肥薩おれんじ鉄道)日奈久温泉郷 ~(12分・肥薩おれんじ鉄道)八代駅~(11分・九州新幹線+50分・バス)熊本空港