若山牧水は、明治18年8月24日、東郷村坪谷(現・日向市)に生まれた。29年3月、坪谷尋常小学校を卒業し、翌月延岡高等小学校に入学。明治32年4月、その年創立された県立延岡中学校に第1回生として入学し、明治37年4月早稲田大学(北原白秋とは同級)に進学するまで通算8年間、多感な青少年期を延岡で過ごした。
延岡中学校時代にはすでに「牧水」と称し、400首あまりの歌を作っている。牧水は「旅の歌人」といわれるように、全国各地を旅して8000首あまりの名歌を残し、全国には牧水の歌碑が250基(平成10年現在)ある。
延岡市には特別の思い入れもあり、「ふるさと」「なつかしき」という少年時代を過ごしたところならではのことばが印象的に見られる。
「ふるさとに帰り来りてまづ聞くはかの城山の時告ぐる鐘」
(延岡駅前と延陵会館の2ヵ所)
この歌は、大正13年の春、父立蔵の13回忌法要で帰省の際、早稲田大学の同窓生で歌の弟子の谷自路の家(現ホテルごかせ)に泊った時、酒を酌み交わしながら詠んだもの。
「なつかしき城山の鐘鳴りいでぬをさなかりし日聞きしごとくに」
(台雲寺と城山公園の2ヵ所)
この歌は、牧水が亡くなる前年の昭和2年7月24日、朝鮮旅行からの帰り、母方の叔父長田観禅が住職であった台雲寺で詠んだもの。昭和10年3月17日、全国で3番目の牧水の歌碑として建てられた。以来、毎年春の彼岸に歌碑祭がいとなまれている。
このほか延岡市内に4基の歌碑のほか、平成11年に開学した九州保健福祉大学に「青春の散歩道」として17基の歌碑がある。
また、延岡総合文化センターには銅像が建てられている。これは大正10年5月20日、36歳の牧水が高松の栗林公園を訪れた際に撮影された写真をもとにつくられたもの。高さ2.4mの像は現存する牧水の銅像としては最大で、その偉業をたたえる延岡市民の思いにふさわしいものといえる。