人吉球磨地方の野辺を歩いていて焼酎墓に出逢うことがある。「しょうちゅうばか」、耳に聴くとき今どき不適切な表現に聞こえるが、文字にすると焼酎墓。
「とっくり墓」とも。
亡くなった人が無類の焼酎好きであった。生前は愚痴もこぼしていたが、せめて「あの世でたっぷり…」と、その家族の優しい気遣いの現われだ。他に地方にもあるかもしれないが、耳にしていない。(教えてほしい。全九州の焼酎墓特集など面白い。)
その中で異色、白眉のナンバーワンは笹松家のもの。写真のように盃が墓にかぶせてあり、塔身もとっくり。そして後ろの石の屏風には美人の姿、この写真にはないが、三味線、行燈まで写実的に描かれ、彫り込まれている。「ウーン」ご立派。この墓を作ったご夫人の度量の深さと心配りが偲ばれる。
「お目にかかりたい」とツテを求めて話を承った。写真もいきさつも発表しないという約束。その約束通りに今だにしている。
ご立派なさばけた奥様だった。
そのお墓は、多良木の青蓮寺の境内にある。本堂に向かった左側、行けばすぐ判る。
青蓮寺まで行ったついでに、近くに建つ生善院観音堂にまつわる焼酎の話しを。
生善院と呼ぶより「猫寺」で通っている。無実で息子を殿様から殺された母親が呪って騒動を起す化け猫騒動の物語で、観音堂はその母親の霊を鎮めるために建てられた。
ここで「焼酎」が主題として大きくからむ。
無実の事実が判明した。討入ストップの使者が人吉城を出て、現地に向かう。道中、酒好きの使者はつい一杯。が二杯三杯となって眠り込んでしまった。
時、既に遅し。殿の指示をうけて討手は既に使命を果たしていたあとだった。
焼酎なかりせば…と悔やまれる。この話は本当の歴史である。
人吉、球磨地方が、それほど昔から焼酎党が多かったことを物語る。