東に世界のASO山を控えた熊本市は「日本一の地下水都市」である。あまり知られていない。73万人の政令都市市民の水道水を100%地下水でまかなっている。人口50万人以上のわが国の都市では熊本市だけ。その理由は、阿蘇山と阿蘇山を源として熊本平野を西に貫流して熊本中心部を流れ、有明海へ注ぐ白川にある。白川の流域一帯は太古から爆発を繰り返した阿蘇火砕流でできた地層でできている。隙間が多く、水が地下に浸透しやすい、地下は粘土層で水が豊富に蓄えられている。
この自然の恩恵に加えて、加藤清正が肥後熊本の藩主として入国以来(1588年)白川の中流域に堰や用水路を築き、大規模な水田開発を行った。水田は水が浸が浸透しやすい。通常水田の5倍~10倍も水を通しやすい「ザル田」である。水田から地下に浸透した地下水は熊本市へ流れて、水前寺公園や江津湖一帯の大湧水堰となって地表に顔を出している。
このように神の恵といえる大自然のしくみと清正はじめ先人の努力による「人の営みのシステム」が絶妙に組み合わさって熊本の地下水システムが成り立っている。
─水道水は熊本市にある21の水源地の取水井戸から汲み上げている。ダムなどの溜り水を使用していない。従って天然のミネラル水である。天候に左右される干ばつ、渇水などないので「断水」がない。
熊本が「火の国」であり「水の国」といわれる所以である。
江津湖は東京ドームの10倍、水の都・熊本を代表する景観が江津湖。政令市の真ん中に東京ドームの10倍の広さの自然の湖がひょうたん形をして広がっている。熊本城が熊本の顔、江津湖はヘソといえる。
水前寺公園から湧き水が流れてくる。周囲からの川の流れが加わる。勿論、湖の底からも水が湧いている。明治期には、あの赤玉ポートワインの工場が湖畔にあった。船で大阪・寿屋へ運ばれていた。
日本の代表俳人・中村汀女は湖の畔に生まれた(1900年~1988年)。宮中歌会始選者を永年務めた歌人・安永蕗子の住まい(1920年生)の住まいも江津湖の畔り。熊本の「情」を象徴する和みのゾーンである。
大分県竹田市白水の滝の近くに珍しい「円形分水」の施設がある。水を配分する分水施設、大きな円形の器に水を入れる。灌漑する田畑の面積に応じて、円形の中を区切って水を分けて公平に流している。理にかなった分水配分の仕組み、水争いがない和みの風土を感じる。明正井路の近くにある。訪れたときは見逃さないように。
もう一つ、竹田市の市民ギャラリー水琴館にある「水琴窟」は水を流すと美しい韻を聴くことができる。今どき貴重なおもてなし。「水琴窟って?」ホームページで調べたらよい。