鹿児島市内より列車で約50分の薩摩今和泉駅。駅に入る直前、列車は松林が印象的な海の見える坂道を下る。その駅前に広がる今和泉(岩本)は、江戸時代には今和泉郷の中心として栄えた。延享元(1744)年、22代当主島津継豊の弟である忠郷によって再興された今和泉島津家は、この地の領主となった。それだけに、集落内には今和泉島津家ゆかりの史跡が数多く点在している。忠郷をはじめ、篤姫にとっては実父にあたる忠剛や兄の忠冬が眠る今和泉島津家墓地や、その菩提寺であった光台寺跡(現在は一般墓地となっている)である。
また、現在の今和泉小学校や指宿商業高校の敷地には、今和泉島津家の別館(本館は鹿児島城下)があった。小学校に隣接する海岸付近には、篤姫も幼少の頃、眺めていたであろう松林や屋敷の石垣が残っている。他にも小学校内には、屋敷で使用されていた手水鉢や井戸跡などが保存されている。
(小学校内の見学については問い合わせが必要。)
今和泉島津家別館跡周辺の麓と呼ばれる地域には、特に国道よりも海岸付近で今和泉島津家にゆかりのある武士たちの屋敷跡が雰囲気として残っている。また線路をまたいだ地区には、天徳4(960)年に創建したと伝えられる豊玉媛神社がある。デメジンサーとも呼ばれ、朱色の社殿が背後の森と美しく対比している。鳥居前には、文政11(1828)年に建立された煙草神社もある。今和泉島津家の墓地近くには、豊玉媛神社と関連のある長勝院末寺跡の磨崖五輪塔を見ることができる。
駅や今和泉小学校よりもさらに南側に位置する海岸沿いの集落は、漁港として栄えた地域で、細い路地やゆるやかな起伏からなる坂道が迷路のように広がり、ここを歩けば南国の生活風情にあふれる街並みに出会える。
このように歴史の趣きを随所に感じることのできる今和泉を、小説の世界との対比やただ純粋に篤姫と向き合うといった様々な楽しみ方で、訪ねてはいかがだろうか。
(社)鹿児島県観光連盟ホームページより(http://www.kagoshima-kankou.com)