西郷隆盛の島妻・愛加那(大島郡龍郷町) 安政の大獄に巻き込まれて島流しとなった西郷隆盛が奄美大島で出会った女性。一男一女に恵まれるものの、3年の夫婦生活を経て隆盛は薩摩藩に呼び寄せられ、別れ別れになる。しかし愛加那は西郷と別れた後、再婚もせず66歳まで生き続けた。
今和泉郷は鹿児島城下から南に約40㎞。延享元 (1744)年、今和泉家が再興されたことにより、その領地として改めて編成された郷である。領主の仮屋は海岸近く、現在の今和泉小学校の敷地にあり、今和泉島津家の別邸があった。
薩摩・島津家の分家、今和泉島津家の島津忠剛の娘として生まれ、江戸幕府の第13代将軍・徳川家定の正室となった。嫁いで間もなく24歳にして未亡人となる。将軍の跡継ぎをめぐる幕府内の抗争と薩摩を中心とした反幕府運動の激化に翻弄されつつ、徳川家のために、日本のために力を尽くした。
種子島の鍛冶工・八板金兵衛清定の娘。清定はポルトガル人から購入した鉄砲を造るよう島主から命じられ苦心していたが、ポルトガル人は娘の若狭が嫁になれば製法を教えるという。清定にとって娘を差し出すことは辛いことだったが、娘の若狭は父の仕事の完成のために意を決してポルトガル人の妻となり海を渡った。
青木繁の名作「わだつみのいろこの宮」では山幸彦と海神の娘・豊玉姫の出会いの場が美しく描かれている。兄から借りた釣針を探すため井戸のそばの大樹に登っていた山幸彦。水汲みにきた姫は、水鏡に映った木の上の美しい姿に一目惚れをし、たちまち恋が実るのである。やがて愛の結晶である子を身ごもるが、出産の時にはミコトの姿を見ないようにと山幸彦に頼む。しかし山幸彦が約束を破って産屋の中を覗くと十数メートルものワニが身をくねらせていた。覗かれた事を知った姫は身を恥じて、生んだ子を置いて海に戻っていった。愛の強さゆえに姫の悲しみも強かったのだろう。二人の仲は戻ることはなかったが、その舞台、青島の青い海岸では潮騒が今も二人のかつての愛の響きを奏でている。