玄界灘に浮ぶ壱岐の島、案外と知られていないのが、ここは長崎県、そして長崎県下第2の平野地であること。潤沢な地である。
作物も豊か。当然昔語りに「小佐衛門さんの隠し宝」が茶飲み話で、代々伝わる。
なんでも海賊まがいの回船問屋でかせいだ金は膨大。どこに隠したか?あの猿ヶ岩に手がかりがありそうだ。絶対そうだ。それ以外に手がかりはない。猿ヶ岩は、今でも、キョトンとおどけたポーズで黙って建っている。
伊万里の殿様の愛妾の「蒜美禰の局」こと玉野が、殿から与えられた或いは伊万里焼きの貿易で稼いだ2万両をどこかに隠して死んだとか‥‥。こんな話がまかり通るほど、伊万里は裕福な土地。錦手の伊万里焼きがすべて国外輸出された、宝そのものだった‥‥。とすれば古伊万里の逸品がその宝に違いない。古伊万里は、まだ土蔵の中に眠り続けている。
江戸時代の初期に、長崎湾に撃沈されたポルトガルの貿易船、マードレ・デ・デウス号にはポルトガル商品を購入した長崎商人たちが支払った莫大な金銀が積まれていたという。
天草下島、苓北町一帯の「三角池」に四郎の秘宝が眠っている――かなり以前から真実味を帯びて語られてきた。謎の古文書も残る――かつて雑誌「旅」が三角池と四郎の宝をとりあげた。
30年近く前のこと。今も大切にとっているが、見当たらなくて残念。それにも詳しく述べられていた。ご教示頂きたい。まずは「旅」の資料が宝探しの第一歩。
南北朝の頃、後醍醐天皇の皇子、懐良親王、良成親王が、南朝のリーダー(征西大将軍)として福岡、熊本の地で大活躍。だが、さだかな足蹟を辿るのは困難。福岡県矢部村に良成親王の陵墓がある一帯とされてきた。
畏れ多いのと祟りを恐れて、誰もチャレンジした人はいない。
小郡市は邪馬台国に比定されている朝倉地方と山門地方のほぼ中間に位置している。直径8mmの球体で、刻まれた文様からみてペルシャ~シルクロードを運ばれてきたものと思われる。財宝の夢は遥けくもシルクロードに翔んでいく。
(小郡市埋蔵文化財調査報告書第90集)巻頭図版写真