「藤江氏魚楽園」は、雪舟が明(みん)で蓬菜の山水技術を学んで帰国したものの、京は応仁の乱の最中であったため、逃れて川崎に滞在した4~5年の間に作ったとされる完成度の高い庭園で、国指定名勝。池を庭園の中心にし、中之島を配し石橋を三ヶ所に架けている。山間部の豊かな自然に囲まれた静寂は幽玄そのもの。
亀石坊とは坊舎の一つのこと。室町時代に雪舟によって築かれたとされる庭園で雪舟四大庭園の一つとされている。苔むした岩や古い庭木が長い年月を感じさせる。東南隅を泉水にして、山林を借景にしている。広さ700平方メートル。国指定名勝。
雪舟は大分に滞在し、天開図画楼というアトリエに住んだ。このアトリエは広々とし、大自然の風景を採り入れた空間だった。このアトリエには多くの人が集まり、絵を求め、教えを請うたという。現在、大分市の上野丘にある金剛宝戒寺の境内に「天開図画楼跡」という碑が建っている。
大野川本流にかかる幅100m、高さ20mの雄滝と平井川にかかる幅4m、高さ18mの雌滝の2瀑からなる滝。雪舟は天開図画楼に住んでいた頃に名作「鎮田瀑図」を描いた。雪舟が明で会得した山水画の真髄を結集した作品といわれている。
江戸時代の南画の大家、田能村竹田の旧宅。母屋は木造二階建てで、竹田は2階の10畳間を書斎として絵を描いていたそう。当時の生家は、寛政元年 (1789年)12月に焼失したが、翌寛政2年に再建された。約200年前の建築で国指定史跡。