日南市飫肥に生まれた服部新佐は終戦直後の1946(昭和21)年、日南市に植物研究所を設立した。南九州に分布する蘚苔(せんたい)類の研究をし、日本やアジアの蘇苔類の体系をつくった。研究所には国内外で採集された標本が45万点ある。(注)苔標本コレクションの見学は事前の了解が必要です。
近世、飫肥は五万一千石の城下町で藩は植林を奨励した。この地で育った飫肥杉は豊富な降水量と厳しい気候の中で育つため、腐りにくく強靭。古くから造船材や建材として使用されてきた。林立する杉林は現在も飫肥を代表する風景である。
モクセイ科ヒトツバタゴ属の落葉高木。日本でも自生しているのは少なく九州では対馬だけ。自生地の鰐浦では、開花時にはびっしりと白い花に覆われるのでその花が海に映った様子から、ウミテラシ(海照らし)とも呼ばれる。
万松院は対馬藩主宗家の菩提寺。132段の石段の上に歴代藩主の立派な墓石が並ぶ。内庭は寛文年間、西川嘉長の作で、山門は桃山様式。和多都美神社は彦火火出見尊と豊玉姫命を祀る神社。本殿正面には5つの鳥居があり、そのうちの2つは海中に建っている。