三池炭鉱 万田坑

世界文化遺産 石炭産業
三池炭鉱 万田坑

石炭は黒いダイヤと呼ばれ、戦前まで日本のエネルギーを支え続けた。
日本は明治から大正ごろまで、エネルギーの大半を石炭に頼っていました。そのため石炭は「黒いダイヤ」「黒の宝石」等と呼ばれて重宝されてきました。三池炭鉱は江戸時代中期には柳川藩などによって採掘が始まっていましたが、後に官営から三井財閥に払い下げられました。アメリカ留学を経て帰国した團琢磨が三井の最高責任者になり、100年先を見据えた産業開発に取り組み、炭鉱を近代化すると共に、鉄道、港湾整備などを一気に進めていきました。中でも万田坑は1897年に開発され、1902年完成の第一竪坑と1908年完成の第二竪坑からなり、1945年頃まで1600万トン以上を越す膨大な量を採炭し、石油に切り替わるまで日本の近代化を支え続けていきました。

静かな田園地帯に炭鉱開発が始まり、町が大きく栄え、そのシンボルが万田坑だった。
江戸から明治初期にかけての荒尾は、有明海に面した小さな港と丘陵地帯に広がる農漁村でした。そこに石炭ブームが起こります。
三井が総力を挙げて近代化していく過程で、万田坑をはじめとする三池炭鉱を核とした石炭コンビナートが建設されました。その後、農村に各地から一気に人が集まり、大牟田を含めて1万人余だった人口が最盛期30万人を超えるほどに活気づいていきました。

100年の基礎を築いた團琢磨。
1858年福岡生まれの團琢磨は黒田藩勘定奉行の養子となり、優秀であったことから藩代表の一人として岩倉具視使節団に参加し渡米します。そのままアメリカに滞在し英語を猛勉強後、MIT(マサチューセッツ工科大学)鉱山学科を卒業。帰国後は役人、東京大学の助教授を経て、三井に転籍後は最高責任者となり、採炭の技術革新はもとより、安全対策、石炭運搬用の専用鉄道敷設、石炭を運び出し海上輸送で効率よく運搬できるようにする為の閘門と呼ばれる巨大ドックも完成させ、築港工事、貯炭場、坑内電化などの近代化を足早に進めていきました。團琢磨は後に日本経済団体連合会の前身の日本経済聯盟会初代会長にも就任しています。

住所 荒尾市原万田200-2
お問い合わせ 万田坑ステーション
電話:0968-57-9155
FAX:0968-57-9156
利用料金 万田坑跡:大人410円、高校生300円、小・中学生200円
万田坑ステーション:無料
定休日 月曜日(祝日の場合は、翌日)
年末年始(12月29日~1月3日)
利用可能時間 9時30分~17時(有料区域の入場は16時30分まで)
駐車場 有(大型バス5台、中型バス3台、乗用車72台駐車可能)
アクセス情報 ・国道208号線万田西交差点から東へ県道荒尾・南関線に入り約2km、県道の左側
・JR荒尾駅から車で約10分
・国道208号線万田西交差点から車で約5分
・民間バス:万田公園前下車徒歩で約4~5分
ホームページ https://www.miike-coalmines.jp/manda_misumi.html

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