旧グラバー住宅

世界文化遺産 造船 石炭産業
旧グラバー住宅

1863年24歳のときに、長崎港や製鉄所、船の出入りが良く見える南山手の高台にグラバー邸を建築。
グラバー邸は、現存する最古の洋風木造建築であると同時に、最初の和洋折衷建築といわれています。特徴はL字型バンガロー、扇型の屋根に瓦葺、レンガの煙突、コロニアル風大型窓など。アーチ型のドアは全てが洗練され、窓越しに庭を隔てて港が一望できる、南山手の外国人居留地でもっとも立地の良い場所に位置しています。

貿易、炭鉱、造幣、三菱の顧問、キリンビール、いずれも舞台となったグラバー邸。
21歳のグラバーは貿易商見習いとして来日。お茶や生糸の輸出から始め、やがて討幕派を支援し勤皇の志士を匿い、武器弾薬、中古軍艦の輸入を手がけます。そののち長州五傑や薩英使節団の支援、軍艦修理のため薩摩藩と共同で小菅修船場を造りましたが1870年にグラバー商会は破綻。その後も日本に残り高島炭鉱を佐賀藩と共同開発を行うも浸水により閉山。大阪造幣局立上げに関わり、三菱の顧問として活躍し、明治屋と一緒にキリンビールを世に出します。その波乱の生涯は、日本の近代化草創期へ大きく貢献していきました。亡くなる3年前の1908年に伊藤博文、井上馨の推薦により明治天皇から「勲2等旭日重光章」を贈られています。

「蝶々夫人」と異なり、来日後52年間を波乱万丈ながら日本で過ごし、73歳の生涯を閉じています。
劇中のピンカートンは妻と子どもを置き去りにして帰国していますが、トーマス・ブレーク・グラバーは21歳で来日し、その後ツルを妻に娶ります。ハルと富三郎の二人の子をなし、波乱万丈ながらも73歳で生涯を閉じるまで日本で暮らしていました。
その後、グラバー邸は息子の倉場富三郎(TomisaburoAwajiyaGlover)夫妻が住んでいましたが、戦艦武蔵建造の秘密保持のために1939年三菱重工業長崎造船所が買収し、第二次大戦後アメリカ進駐軍の司令官公舎を経て、1957年三菱重工業長崎造船所創業100周年祝賀記念行事として長崎市に寄贈されました。

住所 長崎市南山手町8-1
お問い合わせ 電話:095-822-8223
FAX:095-823-3359
利用料金 一般600円、高校生300円、小中学生180円
(前売券 一般500円、高校生240円、小中学生140円)
定休日 年中無休
利用可能時間 1月1日~7月19日、10月10日~2月29日の期間 8時~18時
7月20日~10月9日の期間 8時~21時30分(夜間ライトアップ)
駐車場
アクセス情報 JR長崎駅前から路面電車(正覚寺行乗車、築町乗換え、石橋行乗車)利用20分、大浦天主堂下下車、徒歩7分
ホームページ http://www.glover-garden.jp/

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