外海の出津集落

世界文化遺産
出津教会堂
旧出津救助院
出津集落と教会施設群
出津教会堂 旧出津救助院 出津集落と教会施設群

海を見下ろす高台に立つ出津教会―周囲の木々の緑と石垣にあいまって絵のような光景が広がっている。
 国道から遠望する教会や救助院は、白漆喰と尖塔がシンボルとなり、一服の絵の様な景色に見ほれてしまう。1882年に完成した際は木造平屋であったが、明治に2回増築し平成9年には1年7ヶ月に亘る大改修が施されて今の形となった。
現在の信者は約300世帯、900名余。
集落は石積み集落景観として国の重要文化的景観に選ばれている。

マルコ・マリ・ド・ロ神父は28歳のときにフランスから長崎へ渡日。
大浦天主堂を経て、外海地方の社会福祉・土木・建築・医療・教育などに深く貢献した。
 ド・ロ神父は1868年にプチジャン神父の要請で大浦天主堂の司祭となり大浦教会の羅典神学校の建設や石版印刷所を設けた。
その後1879年に外海地区に赴任し主任司祭となり、地域の信徒の労働奉仕と寄付を募り自らの設計で出津教会を1882年に完成させた。
翌1883年には修道女や結婚前の女性などを経済的に自立させるため、教育や授産事業を行う活動の拠点となる出津救助院を設ける。

貿易や様々な事業を立ち上げ貧者や子どもを救い、女性の自立を応援し続けたド・ロ神父。
 出津救助院は1階に授産場、2階に修道院、隣接して日本初のフランスパン工房やマカロニ工場を作り、作った製品は長崎居留地の外国人に販売して事業を拡張していった。さらには育児施設を兼ねる鰯網工場(現在はド・ロ神父記念館)、落花生油を使ったソーメン作りや当時日本では珍しかった紅茶も栽培し、外国人居留地の商人を通じて輸出。輸出した代金でフランスから20台の織機や糸車を輸入して織物を生産するなど、様々な貿易や収益事業を行った。
1972年、74歳で亡くなるまで、飢えで苦しむ村人や病人救済、製粉工場や保育所、薬局などもを設けて貧民救済に生涯を捧げた。

住所 長崎市西出津町2602
利用料金 ・ドロ神父記念館と歴史民俗資料館は共通入場券:大人 300円 小・中・高校生 100円
・出津救助院:大人300円 中・高生200円 小学生150円
・※体験料別途
駐車場 各入場施設には観光客用のトイレは無し。従って外海民俗歴史資料館を利用
その他 ・車は国道202号側にある外海歴史民俗資料館に駐車し、徒歩にて見学
・旧出津救助院のみ月曜日休館

トイレ無(外海歴史民俗資料館駐車場に設置)

※教会堂見学は事前連絡をお願いします
https://kyoukaigun.jp/reserve/agreement.php?cid=8