小菅修船場跡

世界文化遺産 造船 石炭産業
長崎造船所 小菅修船場跡

維新十傑の一人小松帯刀、英国に留学した五代友厚、グラバーと船の修理ドックを造る。
 1866年薩摩藩は外国から買い入れた蒸気船の補修が必要となり、小松帯刀が貿易商T.B.グラバーらと共同で修船場計画を考え、実務には英国留学から帰国した五代友厚があたりました。
英国から輸入したボイラー、堅型2気筒25馬力の蒸気機関、歯車曳揚げ装置が設置され、1869年に完成。
築造当初の1872年7月に明治天皇は小菅の修船場に行幸されています。

※小菅修船場の完成は明治元年12月だったため、資料によっては完成1868年と表記されているものももあります。日本は明治5年12月2日(1872年12月31日)まで太陰太陽暦(以下、旧暦)を採用していたため、西暦とのずれが生じています。どちらも間違いではありません。

日本初の蒸気機関を動力とする曳き揚げ装置を設置したスリップドック。
 この修理用ドックは、「スリップドック」と呼ばれ、蒸気機関を据え付けた曳揚げ小屋内の巨大な歯車を蒸気で回し、回転力を曳く力に換え、1,100トンまでの船を陸上へあげることができました。
海岸から沖に伸びたレールの上を船を載せる船架が移動し、船を陸に曳き揚げて修理する。船架の揚げ降ろしは約4メートルの鉄製バーを連結、切り離す方式。

なぜ、薩摩藩が藩外の長崎に船の修理場を作ることができたのか?
 諸説ありますが、正確な事情は闇の中です。やがて官営となり小菅修船場は長崎造船所に組み入れられ、新船の建造や修理と活躍することになりますが、1887年(明治20年)三菱へ払い下げられた後は、日清戦争、日露戦争と戦争が続いた事もあり、軍艦や商船などの建造が大型化していくとともに、厳しくなり1953年に閉鎖になりました。

住所 長崎市小菅町5
お問い合わせ 長崎市観光推進課
電話:095-829-1314

三菱重工業(株)長崎造船所 史料館
電話:095-828-4134
利用料金 無料
駐車場
アクセス情報 JR長崎駅前から長崎バス(野母半島方面〔戸町経由〕乗車)利用15分、小菅町下車、徒歩5分

モデルコース

関連施設