三重津海軍所跡

世界文化遺産 造船
三重津海軍所跡

国を護るために佐賀藩・鍋島直正公は一早く行動を起こし、最先端の造船ドックを作る。
 1808年(文化5年)佐賀藩が長崎港警備の当番の年に、オランダ船を装ったイギリス船が長崎港に侵入し、オランダ商館員を人質にした「フェートン号事件」により、警護の責任を取り長崎奉行や家老が切腹。佐賀藩主鍋島斎直は謹慎処分となります。さらに1853年ペリー黒船来航により開国を迫られ、不平等な条約締結を突きつけられた江戸幕府は、1855年(安政2年)に長崎海軍伝習所を設けました。多くの佐賀藩士は航海術や造船技術を学び、藩独自で三重津に1858年(安政5年)ドライドックを設け、造船に力を注いでいきました。
※ドライドックとは船を修理したり造船する際に使うドックのことで、陸地や入り江に水門を設けて船を引き入れ、排水して作業を行う船渠を意味します。

わずか7年で1865年(慶応元年)に日本初の蒸気船「凌風丸(りょうふうまる)」を完成させる。
 外国の脅威を身にしみて感じていた佐賀藩は、外敵に対し佐野常民らの招きで東芝創業者の田中久重、儀右衛門親子を迎え、蒸気機関で動く列車や船を考案し、その後は洋式艦船の造船や建造した蒸気船の操船などに磨きをかけていきました。当時の和船は全長20m程度の木造船でしたが、日本初の蒸気船「凌風丸」は全長が18.2m、幅3.3m、石炭動力の蒸気機関10馬力。
今考えると小規模な船ではありましたが、当時いかに高い技術力に裏打ちされてできたものか!その歴史ヒストリーを「佐野常民記念館」で読み解くことができます。

三重津海軍所は日本赤十字の創始者「佐野常民」の働きがあってこそ。
 1823年生まれの佐野常民の存在なくして、三重津海軍所の歴史を語ることはできない。なぜなら反射炉造りや蒸気機関の応用、洋式艦船の造船技術などに大きく貢献した田中久重、儀右衛門親子を説得し、佐賀に連れて行ったのは他ならぬ常民だったからです。37歳で三重津海軍伝習所の監督となった後に「凌風丸」を完成させ、46歳を過ぎて藩代表としてパリ万博で渡欧した際に赤十字のことを知り、医師でもあった常民は西南戦争が勃発した56歳のときに敵味方の差別無く負傷者の救護活動をする「博愛社」を設立。66歳で「博愛社」を改称して「日本赤十字」とし、初代社長となります。

住所 佐賀市川副町大字早津江津446-1
お問い合わせ 佐賀県文化・スポーツ交流局文化課世界遺産推進室
電話:0952-25-7253
FAX:0952-25-7179
bunka@pref.saga.lg.jp
利用料金 無料
※佐野常民記念館 大人300円
定休日 毎週月曜日(月曜が祝日、振替休日の場合、翌日)
12月29日~1月3日
利用可能時間 9時~17時
アクセス情報 ・自家用車の場合
長崎自動車道佐賀大和ICより車で40分
有明佐賀空港より車で10分

・公共交通機関の場合
JR佐賀駅バスセンターより佐賀市営バス諸富・早津江線にて30分、佐野常民記念館入口バス停下車、徒歩で5分
西鉄柳川より西鉄バス久留米沖新線にて30分、終点早津江バス停下車、徒歩で5分
ホームページ https://www.city.saga.lg.jp/main/3852.html

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