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櫛田神社は福岡市の総鎮守として最古の歴史を有し、天照皇大神、大幡主大神(757年)、素盞鳴大神(941年)三社の神を三社各別に建立並び社頭の輪奐結構を極めていたが、兵火に荒廃し、天正15年の秀吉公の博多復興にあたり現社殿の建立がなされた。御神徳は古来「不老長寿」「商売繁盛」のお櫛田さまとして信仰が篤い。福岡の代表的な祭り「博多祗園山笠」のフィナーレを飾る追い山のスタート地点。
詳細12:00
うどん発祥の地といわれる博多。出汁を含んだやわらか麺が特徴です。博多っ子に人気の具は「ごぼう天」(ごぼうの天ぷら)や「丸天」(魚のすり身の揚げ物)など。またうどんのお供に「かしわおにぎり」(鶏肉入りの炊き込みご飯)を頼むのが博多っ子の定番です。
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梅をこよなく愛した菅原道真公が、この地に左官された時、その梅が後を追って降り立ったと言われる、飛梅伝説が残る。 境内には6000本もの梅の木があり、6月は菖蒲、秋には菊に紅葉と年中お花見を楽しむ事が出来ます。
参道には名物「梅が枝餅」を売る茶店が立ち並び、太宰府天満宮で収穫された梅を使った梅干等も売られています。
16:30
18:00
武雄温泉は、「肥前国風土記」に「郡の西に温泉の出づる厳あり。岸峻しくて人跡まれにいたる。」と記された古湯。その起源は、今から約1,600年ほど前、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮出兵から帰る際に、矛の柄でついて温泉を出したことからと言われています。このことから、武雄温泉は別名「柄崎(つかさき)温泉」とも呼ばれています。武雄温泉のシンボルと言えば、竜宮城を思わせる朱塗りの楼門(ろうもん)です。この門は、赤レンガの東京駅を設計した佐賀県唐津市出身の辰野金吾(たつのきんご)氏によるもので、大正3年に建築されました。
詳細9:00
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佐賀といえば、「やきもの」。そのイメージを決定づけるのはやはり伊万里・有田焼。 そもそものはじまりは、豊臣秀吉の朝鮮出兵。足かけ7年におよぶ無益な戦いは秀吉の死で幕を閉じますが、このとき多くの大名が朝鮮半島から陶工を日本に連れ帰ります。佐賀藩の鍋島直茂(なべしまなおしげ)も例外でなく、陶工を日本へ連れて帰ります。 そして元和2(1616)年、陶工の李参平(りさんぺい)が有田の泉山で白磁鉱を発見し、日本最初の磁器が焼かれたといわれています。
詳細12:00
13:30
波佐見焼の特徴は、透き通るような美しい白磁と、呉須で絵付けされた繊細で深い味わいのある染付にあります。慶長3年(1598年)、文禄・慶長の役の際に大村藩主・大村喜前が連れ帰った、朝鮮の陶工たちによって始められたと伝えられています。やがてこの地の磁器の生産量は、江戸後期には日本一を誇るほどになりました。現在では、日用食器の全国シェアの約15%を占めています。
詳細15:40
17:00
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香港・モナコと並び「世界新三大夜景」に認定される長崎の夜景。“鶴の港”と称される長崎港を中心に山々が取り囲んだすり鉢状の立体的な地形により、稲佐山・鍋冠山・風頭山・グラバー園などの夜景スポットが点在し、訪れた方をそれぞれの景観で楽しませてくれる。
稲佐山
9:00
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大野集落26世帯のために、出津教会完成の11年後に建てられた巡回教会。
1893年マルコ・マリ・ド・ロ神父の設計と指導のもとに、地域の信徒の労働奉仕により造り上げられた平屋建の教会堂。
造りは北側に通称「ド・ロ壁」と言われる玄武岩の切石を泥漆喰(赤土や砂、石灰を混ぜ合わせた粘土状の接着剤を作ってつなぐ工法)で固めて冬の北風除け石壁となっている。その後ろ側には人一人が歩くことができる狭い風除け通路があり、中央部には堂の入口がある。
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海を見下ろす高台に立つ出津教会―周囲の木々の緑と石垣にあいまって絵のような光景が広がっている。
国道から遠望する教会や救助院は、白漆喰と尖塔がシンボルとなり、一服の絵の様な景色に見ほれてしまう。1882年に完成した際は木造平屋であったが、明治に2回増築し平成9年には1年7ヶ月に亘る大改修が施されて今の形となった。
現在の信者は約300世帯、900名余。
集落は石積み集落景観として国の重要文化的景観に選ばれている。
12:30
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現存する日本最古の教会堂。 正式名は「日本二十六聖人殉教者天主堂」。殉教地・西坂の丘に向けて建てられている。 設計指導者はフランス人宣教師のフューレ、プティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進。 1864年末に竣工した翌1865年3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、 世界宗教史上の奇跡といわれる「信徒発見」の舞台となった。
詳細18:00