大江の協会は小高い丘の上に建っている。真っ白い天主堂は尖塔の円屋根のふくらみがやさしい。その上の十字架が朝の光にキラキラ輝く。高い位置にあるので、道からは少し眼線を上げ、仰ぎ見るような恰好になる。どこからでも見える。
周囲は段々畑が続く大江の山里。そんな農村風景のなかにあって、異質なものであるのに不思議に天主堂は調和している。
聳えたつゴチック式の塔を持つどこそこの教会のように変な威圧感や尊厳さが全くない。
すっかり村里になじみ込み大江の空気の中に融けこんで穏やかな表情を浮かべている。
なんと平和なやさしい風景だろう。
それは、天主堂がこの土地に建ってからの歳月を、大江の里と一緒に生きてきたせいだろうと思える。
土地の空気を吸って一緒に暮らしている歴史が永いほど建物や景観はしっとりと同化する。
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「この御堂に立ち寄られたあなたは、最早単なるキリシタンの夢の島への歴史探訪者ではありません・・・・」
異国情緒の興味のみを求めての訪問者にやさしく語りかけるように 津天主堂の入り口には“神の子等"と呼ばれるためのキリストのお言葉が書かれていた。
永禄十二年(1569)に早くも教会が建てられたほどキリシタンが多かった 津のまち。厳しい弾圧の迫害にもめげず隠れキリシタンとなってまで信仰を守り抜き、苦難の道を乗り越えた祖先の心を承けついで、今もこの小さな漁師町には信仰がくらしの中に脈々と生き続けている。
津の"要“(かなめ)のように細い路地の奥つきに建てられた教会の地は、かつてこの地で「踏み絵」が行われた由緒の地である。(明治19年に再興され昭和9年に現在の所に新築)里人の心の拠り所であり、ゴチック式教会の十字の尖塔が影を宿す鏡のような入江は、そのまま祈りの庭だ。
天主堂は美しいこの地方の陰翳のある光の中にじっくりと根を下ろし、人々は満ちたりた心で暮らしに励む"祈りの里“—
余りにも見事なその調和が訪れる人の心にキリシタンのふるさととしてエキゾチシズムの幻想と感傷を呼びおこす。