スペイン、イベリア半島の西北端の聖地。聖ヤコブが眠る。ローマ、エルサレムと並ぶ三大聖地。いまもこの地に杖をひく巡礼者は多い。
聖ヤコブ、スペイン語ではサンティアゴと呼ぶ。ヤコブが眠るので、以後地名になった。この地で異教徒の侵攻を受けたときキリスト教徒たちは「サンティアゴ!」と叫んで果敢に闘った歴史がある。
——四郎軍にもそんな故事を知っている教徒がいたのだろう。彼等は「サンチャゴ」「サンチャゴ」のときの声をあげて幕府軍との戦いを進めていった。
幕府は四郎軍の一揆に懲りて、乱後徹底してキリシタンの一掃を強行した。キリシタンにかかわるものは、南蛮文化史蹟も含めて破壊した。島原半島〜天草に残るキリスト教の大学「コレジョ」も破壊した。いま、その面影はない。僅かな伝承と史資で窺えるのみである。
復興策として、民心安定を図って多くの寺を創建した。明徳寺、東向寺などがその代表である。僅かに、土の中、土蔵の奥などに残るキリシタン信仰の遺跡が、いま各地の資料館に伝わり、当時を偲ぶことができる。
殉教公園の丘に続いて数分の距離に明徳寺の山門がある。曹洞宗のこの寺の樓門の両脇には、いかめしい文字で仏陀之正法をひろめ、耶蘇之邪宗を破る額がかかげられている。
「祖門晋師行清規流通仏海正法」
「将家直正革弊政芟除耶蘇邪宗」
天草の乱後キリシタンを根絶し、民心の安定と仏教への帰えのために設けられた天草四ヶ本寺の一つ明徳寺の山門は翼を広げたような抱擁と景観を表わしている。
108cmの正方形の布製(りんず)の旗。「いとも尊き聖体の秘蹟ほめ尊まれ給え」と中世ポルトガル語で記されている。大きな聖杯の左右に合掌する天使の絵が洋画の技法で陰影をつけて油彩で描かれ当時西洋画法の文化があったことを示す。
キリシタン軍が全滅した原城(島原)に残されていたと聞くと、点々とした血痕や矢弾の傷に深い感慨を誘われる。
国指定重要文化財。