文弥節という独特の節回しが特長。
300年ほど前、島津藩主が上方から持ち帰ったものと伝えられる。明治初年~昭和初期4年頃まで最盛期を迎えた、現在、復活し「人形浄瑠璃資料館」で年4回の定期公演を行っている。
小学5~6年の少年少女サークルが勉強し、復活にはずみをつけている。
常設の上演館を持つ清和文楽は都市と農村との交流事業として活発に活動している。起源は150年前の江戸末期から。定期公演(第2、4日曜日)には県外から訪れる。アイルランドにも海外公演、小泉八雲の「雪おんな」の新作も創作。太夫も育ち、若手後継者も熱心。勿論、農家の人が農作業の傍ら演じる。
大分県各地にあったが、今ではここだけ残る。毎年2月第一日曜日に北原の原田神社で奉納。豊作と疫病退散を祈願する。鎌倉時代に始められたと伝わる。衰退を辿っていたが、平成2年から再興を始め、国民文化祭に出演までなった。一人で人形を操る「はさみ遣い」が演じられる。毎週1回練習に励む。
江戸後期、弘化年間に大原集落で行われていたのがルーツとされる。若者の善導のため、大分・北原のものを採り入れて娯楽を広めたという教育環境づくりであった。現在、定例公演のほか各行事、老人ホームの慰問、文化祭出演など活動的に公演をこなしている。
今では小学生も練習を始め、公演を行っている。
歴史は比較的浅いが、座元制度により8戸(現在は6戸、17人)の家族ぐるみで継承されてきた。近年は地元の笠原小学校の児童が活動を始め成果を残している。専用の人形芝居会館での本公演をはじめ、活動的に上演を行っている。地元特産の八女茶販売のPRもかねて活発である。
焼物の町・波佐見は芸術の里にふさわしく、人形浄瑠璃や歌舞伎、狂言、琵琶などの愛好者が多かった。
享保の大飢饉(1732)の時に皿山の人々は、大村藩内を巡行し、木戸銭代りに食べ物を貰い窮民を救った。平成元年に復興し、皿山大神宮の祭りでの奉納はじめ、町外への出張公演も盛んになってきている。