明治維新の元勲。島津斉彬に用いられる。幕末、大久保利通らと倒幕運動にかかわり、王政復古を実現・新政府では参議・初の陸軍大将となる。岩倉遺欧使節団の出発後、政府の中心人物として開明的な諸政策を実現するも、征韓論に敗れて下野し、のち西南戦争をおこす。
明治維新の元勲。幕末、西郷隆盛と協力し、藩政改革派の指導者となり、薩長同盟を成立させ、討幕、明治新政府の樹立に尽力。新政府で参議・大蔵卿・内務卿に任ぜられ、版籍奉還、廃藩置県、地租改正等を断行。西郷隆盛の下野後、新政府の中心人物として活躍。
明治の海軍軍人で日清・日露戦争で活躍。特に日露戦争では、海軍大将、連合艦隊司令長官として、旅順のロシア艦隊、日本海海戦におけるバルチック艦隊を撃破して名声を上げた。
明治・大正の軍人・政治家。大正時代に二回総理大臣となる。日本海軍の近代化と強化に尽力。日露戦争時には海軍大臣・海軍大将として、政戦両面を指導。
明治維新以来の功臣で、新政府で陸軍大臣をつとめ、近代的日本陸軍の建設に効あり。臣下で最初の元帥となる。特に日露戦争での満州軍総司令官としての活躍で有名。西郷隆盛の従兄弟。
この一帯に勢力を張っていた隼人族の不思議に迫る。公園化され敷地内には石塔が数基と、隼人塚史跡館がある。景行天皇に討伐された熊襲の霊を鎮めるためとも、また大和朝廷軍に討たれた隼人の乱の霊を鎮めるために作られたといわれているが、平安時代の仏教遺跡とも考えられている。
「ポーツマス条約を結んだ外務大臣」として日本近代外交の基礎を築いた明治の外交官・小村寿太郎侯の遺徳を顕彰した国際交流センター小村記念館には、数多くの資料やビデオにより、生い立ちから業績まで広く紹介してある。
清武町が生んだ幕末の儒学者・偉人で息軒の生家が保存されている。息軒は、寛政11年(1799)に漢学者の安井滄洲の次男として誕生。幼年の時から父の教えを受け、十五歳の頃には家にある書物はほとんど読み尽くしたという。江戸の昌平黌に学ぶ。文政十年(1827)、郷里に帰って近郊の子弟教育に当たった。天保7年(1836)に再び江戸に上がって三計塾を開く。門下からは陸奥宗光や谷干城ら多くの逸材を輩出した。
日向市から車で約40分、東郷町坪谷に歌人・若山牧水の生家がある。瓦ぶき二階建てで、牧水の少年時代のままに保存されている。牧水は、歌に生き、旅に生きた。向かいの牧水公園には平成17年4月に若山牧水記念文学館が開館し、牧水の書籍や遺品のほか、中原中也と親交のあった郷土の詩人「高森文夫」の遺墨などが展示されている。
日当山温泉 天降川をはさんで、その両側に並ぶ温泉郡。昔から色白の美肌をつくる湯として知られており、西郷さんも季節をとわず十数回にわたり訪れています。
●鹿児島市は歴史文化NO.26参照
●日南市・日向灘を黒潮が洗う。一帯の鬼の洗濯岩なども黒潮の影響、温泉に加え温暖な風土に恵まれているので魚幸のみならず食材も豊富。