人形浄瑠璃の作家で知られる近松門左衛門が修行したと伝えられる寺で「きんしょうじ」と読む。別名瑞鳳山。歴代この地域の藩主の信仰を集め、文政年間には藩主小笠原氏の菩提寺となった。山門は名護屋城の門を移築したもの。近松門左衛門の遺髪塔やキリシタン灯籠の織部灯籠などがある。
約400年前に豊臣秀吉が朝鮮や明への出兵を目的に、その前進根拠地として加藤清正に築かせた城。
もとは松浦党波多三河守親(ちかし)の家臣名護屋越前守経述の居城(垣添城)のあった所で、清正が築城技術を発揮し、わずか5ヶ月で築かせたといわれている。近年茶室跡が発見される。入り口に名護屋城博物館が。
約600年前に創建された臨済宗南禅寺派の禅寺。本尊は薬師如来像で、運慶の作と伝えられる。他にも室町時代に建立されたといわれる六地蔵塔があり、伝染病が蔓延したときに人々を守ったとして現在も六地蔵保存会が地蔵塔を祀っている。約3000坪の広い境内は楠が茂り、緑豊かで散策に最適。
日本三大稲荷の一つで1687年肥前鹿島藩主の鍋島藩によって建立。「祐徳さん」と呼ばれ親しまれ、参拝者は年間300万人を超える。山の斜面に建つ数々の鳥居や朱塗りの本殿は圧巻。隣接する博物館には、祐徳稲荷神社の宝物や歴代鹿島藩主の資料が展示されている。
『思案橋ブルース』などの流行歌になるなど全国的に知られる「思案橋」。かつて玉帯川にかかり、花街・丸山へ渡る橋だったが、戦後は無くなり、現在鉄の橋脚がその名残りをとどめている。市電・思案橋電停をはさんで両脇に欄干を模したモニュメントがある。