豊後街道は加藤清正により整備されたため立田口(熊本市)から、菊陽・大津を通り、二重峠までを清正公道と呼ばれていた。
1608年竣工当時は天守閣三つ、櫓四十九、櫓門十八、城門二十九で曲線を描く武者返しの石垣が立ち並ぶ周囲9kmの大型戦闘用の城。現在は二つの天守閣で質実剛健なこの城の雰囲気を再現している。
阿蘇へ入ると豊後街道の難所二重の峠。今も当時の石畳が残っている。
大津の御茶屋で一夜を明かした参勤行列は、朝出発して二重の峠を超え的石の御茶屋に到着。ここで一行は休憩と昼食をとったという。現在も庭園・家屋等は当時の様式をそのまま残している。
今市は岡藩の宿場として栄えた。見事な石畳が町並みと調和している。加藤清正を祀る加藤神社があり、今も敬愛されている。
豊後街道の終点ともいえる鶴崎。細川家の飛地領であった。参勤交代の一行はここから船で瀬戸内海を渡り大阪へ。鶴崎にある剣神社には細川船団の絵馬や絵巻物がある。
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