九州に今はしっかり根づいている陶磁産業の南九州の主な窯元を覗いてみよう。
「焼物戦争」の結果、九州の各藩は地場産業として焼物を奨励した。
いま、その系譜がはっきりしている窯元を訪ねる時、九州の大名がいかに焼物産業に力を入れてきたかが判る。
それまでの焼物は「写し」であった。それまでとは、文禄・慶長の役を機に朝鮮陶工がわが国に渡来するまでのことである。それまでの陶業は先進国の中国や朝鮮から輸入の名器を模倣することに力が入れられていた。
「役」に海を渡って出兵した日本、特に九州の諸将はあらそって韓の陶工を連れて帰り、窯を築かせた。折しも白磁の陶石が発見されるなど、日本の焼物の世界は急速な様変りを見せた。
苗代川の流域には陶工の集団が住み着いた。「故郷忘じがたく候」(司馬遼太郎)の主人公のように誰もが故郷韓国への望郷の念を押えて作陶に従事し、おかげで九州の陶磁界は栄えていった。
焼物はデパートの名品店や伝統工芸店などでも目に触れる機会はあるが、やはり、生まれる里の風景の中で観賞するにこしたことはない。現地を順に訪ねると、作家の個性、陶土の個性によって出来る品物に違いがあることが判る。
その、えもいわれぬ違いが肌で感じられる。
鹿児島中央駅〔鹿児島市〕~(15分フェリー)桜島
古里温泉~(約45分・バス+15分フェリー)鹿児島市(市街)~(約25分・JR)日置市(東市来)~ (約20分・JR)いちき串木野市~(約30分・タクシー)市比野温泉
市比野温泉~(約40分・タクシー)加治木町~(約30分・JR)鹿児島中央駅