昭和44年から平成7年まで、実に26年間にわたって日本中に愛された映画。その数なんと48作。主役はまさに”国民的ヒーロー“…といえば、もうおわかりだろう。「男はつらいよ」シリーズである。
風来坊の寅さんが、風の向くまま日本国中を旅しては、女に惚れる。最後は必ず失恋なのだが、恋した女の幸せを願って旅立っていくその後ろ姿に、観客は笑いながら涙がこぼれてしょうがなかった。
この「日本人の心」を描くために、山田洋次監督以下、スタッフたちが苦心したのが「ロケ地」である。戦後数十年、急速に変わった日本の風景。ワラ葺き屋根や白壁の家、土蔵、田んぼ、石畳、お地蔵様、蒸気機関車、土の道に水溜り…そんな郷愁を追い求めて、そしてそこに生きる人情を求めて、寅さんたちは旅をした。
九州各地も、実に13作品でロケに使われている。ここでは、4回にわたってそのロケ地巡りをしていこう。まずは〈福岡・佐賀編〉。
飛行機の苦手な寅さんのことだから、本州からは列車で博多駅に着き、そこからローカル線に乗り換えたことだろう。第37作『幸福の青い鳥』では、飯塚市の炭鉱跡が舞台だった。最盛期の頃には景気もよくて、寅さんたちタンカ売の品物も飛ぶように売れていたはず。その繁栄の象徴「嘉穂劇場」で、寅さんも昔を偲ぶのである。
飯塚からひと山越えた城下町・秋月は、28作『寅次郎紙風船』に使われる。重病の床につく昔の商売仲間を訪ねた寅さんが、その女房に送られて歩いた白壁の道は、史跡・長屋門の前だった。
佐賀県では、呼子の町が印象深い。赤ん坊を押し付けられて往生する14作の『寅次郎子守唄』でも、港町の暮れなずむ海原に、ポンポン船の音が響いていた。そして、もはや中年となり、自分よりも甥の恋の指南役に回る42作『ぼくの伯父さん』では、ダムに沈む予定だった富士町や、小城神社、吉野ケ里歴史公園などが、広い範囲で登場している。
福岡空港~(10分・地下鉄)博多~(15分・バス+45分・JR)飯塚~(50分・JR)基山~(25分・甘木鉄道)甘木~(10分・JR+35分・西日本鉄道)久留米~(15分・西日本鉄道)柳川
柳川~(50分・バス)佐賀~(10分・JR+バス・20分)吉野ヶ里~(40分・バス+70分・JR)唐津~(30分・バス)呼子
唐津~(70分・JR)佐賀~(50分・バス)古湯~(50分・バス)佐賀~(35分・バス)佐賀空港