自然

魅惑の島々

五島列島(上五島)

 長崎県西部の東シナ海に浮かぶ大小140の島々から成る五島列島。西海国立公園に指定され、四季を通じて釣りやマリンスポーツなどが楽しめます。
 若松島・中通島(新上五島町)より北を上五島と呼び、今尚キリシタンの香りが色濃く残っています。300年にも及ぶキリシタン禁教令下の弾圧に耐え、後に信者によって建立された新上五島町に点在する29の教会は、信仰を守り続けた人々の祈りの証です。
 平成19年(2007年)に、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産の暫定リストに掲載され、青砂ヶ浦教会、頭ヶ島教会はその貴重な遺産として明記されています。

五島列島(上五島)
  • 青砂ヶ浦教会青砂ヶ浦教会

     明治12年(1879年)、初代の聖堂が建設され、明治43年(1910年)に、湯治の大崎神父が設計・施行に関する原書を取り寄せ、現在の赤煉瓦造りの教会堂が再建されました。
     正統派の建築様式で、日本の教会建築の先駆者である地元出身の鉄川与助により建設されました。現在の建物は三代目、すでに献堂100周年を迎えています。国指定重要文化財であり、また世界遺産の暫定リストにも登録されています。

  • 頭ヶ島教会頭ヶ島教会

     キリシタン弾圧を逃れて頭ヶ島に移り住んだ信者たちが、自らの手で砂岩を切り出して造った、全国的にも珍しい石造りの教会です。外観は重厚ですが、内部は折り上げ天井に花柄の装飾があしらわれています。
     明治20年(1887年)に創建、現聖堂は明治43年(1910年)に着工し、大正6年(1917年)に完成しました。国指定重要文化財であり、青砂ヶ浦教会とともに世界遺産の暫定リストに登録されています。

  • キリシタン洞窟キリシタン洞窟

     若松島から船で約10分のところにあるこの洞窟は、明治のキリシタン弾圧のとき、付近のカトリック信者が隠れ住んだ洞窟と云われています。
     洞窟の中は意外に広く、奥行き50m、高さ5m、幅5mのT字型になっており、壁には何かを飾っていたような跡が残っています。
     昭和42年(1967年)、高さ4mの十字架と3.6mのキリスト像が建てられました。

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五島列島(下五島)

 コバルトブルーの海に浮かぶ五島列島の南側の奈留島、久賀島、福江島を下五島と呼んでいます。大自然に恵まれ、風光明媚な島々はマリンスポーツのメッカであり、キリシタン弾圧の時代の歴史が色濃く残る土地柄でもあります。
 1556年、修道士アルメイダの布教に始まり、その後信徒は2,000人にまで増えましたが、1637年「島原の乱」以降弾圧が厳しくなり、多くの信者が五島に移り住みました。明治に入り教会の建築が始まり、現在下五島には21の教会が点在しています。
 平成19年(2007年)、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産の暫定リストに掲載され、旧五輪教会、堂崎教会、江上教会の3教会が構成資産として検討されています。

五島列島(下五島)
  • 旧五輪教会堂旧五輪教会堂

     明治14年(1881年)に久賀島にあった浜脇教会が、昭和6年(1931年)に現在地に移築されました。以後50年間、信仰のより所でしたが、老朽化のため昭和60年(1985年)その役目を終え、すぐそばに五輪教会が新築されました。旧五輪教会堂は貴重な文化財として保存され、現在に至っています。
     日本家屋の外観を持ちながら、内部は本格的な教会建築様式になっています。板張りのリブ・ヴォ―ルト天井(蝙蝠天井)、ゴシック風祭壇など当時の様子がうかがえます。国指定重要文化財です。

  • 堂崎教会堂崎教会

     キリシタン弾圧が強まる中、明治6年(1873年)、堂崎の浜辺で五島最初のクリスマスミサが捧げられました。その後本格的な司牧が開始され、堂崎は五島キリシタン復活後の拠点として重要な役割を果たすことになりました。
     明治13年(1880年)に仮聖堂が建立され、明治40年(1907年)に、堂々たる存在感の現天主堂が完成しました。
     昭和52年(1977年)には、聖堂内部に堂崎天主堂キリシタン資料館が開設され、布教時代から迫害を経て復活に至る信仰の歴史を垣間見ることが出来ます。

  • 江上教会江上教会

     江上天主堂の歴史は、明治14年(1881年)、潜伏キリシタンの4家族が洗礼を受けたことに始まります。明治39年(1906年)、現在地に小さな教会が建てられましたが、本格的な教会が建築着工されたのは大正6年(1917年)でした。教会建築の先駆者・鉄川与助の設計施工で、資金はキビナゴの地引網で得た収入などが充てられ、翌大正7年(1918年)に完成しました。緑の木々の間から覗く白い壁、青い窓の外観は、とても優しい印象を受けます。内部はリブ・ヴォ―ルト天井(蝙蝠天井)の美しい曲線が特徴的です。国指定重要文化財になっています。

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天草諸島

 九州の西部、熊本県と鹿児島県にまたがる島々です。北は有明海、東は八代海(不知火海)、西は東シナ海の天草灘に囲まれています。
 天草諸島はキリシタンの島として知られ、いまでも3つのカトリック教会があります。戦国時代の1566年に修道士のルイス・デ・アルメイダが天草に来島し、それ以後多くの宣教師が天草を訪れました。
 16世紀末には、天草で、日本最初のローマ字体なども出版されています。
 また、豊臣の時代には、15,000人のキリシタン、30を超える教会など隆盛を極め、1637年には、天草四郎時貞を指導者とするあの「島原・天草の乱」が起こったのです。

天草諸島
  • キリシタン墓地キリシタン墓地

     市街地を一望できる天草市「城山公園」そばの小さな丘の斜面に、キリシタン墓地があります。
    右手を挙げ平和を祈るキリスト像が設置され、その前には、天草・島原の乱などで殉教した信者が静かに眠っています。
     傍らには、我が国に初めて西洋医学を伝えたポルトガル人宣教師ルイス・デ・アルメイダ像と、天草最初の殉教者アダム荒川の碑が立てられています。日本最初の総合病院や育児院などの導入は、アルメイダによるものと言われています。

  • 大江天主堂大江天主堂

     布教のため来日したフランス人神父のルドビゴ・F・ガルニエが、昭和8年(1933年)に私財を投じて建築したのが大江天主堂です。
     天草西海岸に住むキリシタンは、天草・島原の乱後、隠れキリシタンとして密かに信仰を守り続けました。明治6年(1873年)になってようやく信教の自由が認められ、教会の建設がガルニエのもとで学んだ鉄川与助によって手がけられました。
     鉄川与助は、日本の教会建築に多大なる貢献をし、1967年には勲五等瑞宝章を授けられています。

  • 崎津天主堂崎津天主堂

     天草下島の南部、羊角湾(ようかくわん)にある教会で、内部は畳敷きのとても珍しい内装です。
     1569年に建設され、大江天主堂などと同じく鉄川与助の手により、昭和9年(1934年)に再建されました。
     日本の漁村の集落に建つゴシック風の教会は、周囲の風景に溶け込みながらも異彩を放っています。
     正面はコンクリート造りですが、建物の一部は木造になっています。

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