曲水の宴とは、中国から伝わった、水の流れのある庭園などで行われる優雅な歌遊びのことで、出席者は流れの縁に座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに短歌などの詩歌をしたためます。古くから伝わる行事で日本でも各地で行われていますが、太宰府市(福岡)の太宰府天満宮の「曲水の宴」は、最も早く復元されました。
3月の第1日曜日に、天満宮文書館の隣にある曲水の庭園で行われます。公家の正装・衣冠束帯の男性、十二単や小袿の装束の女性が、白拍子の舞、巫女舞・飛梅の舞などを披露します。その後、ゆるやかに曲る流れのほとりから盃を流します。客人達は、盃が自分の所に流れて来るまでに、短冊に詩歌をしたためなければなりません。盃の御神酒を飲みほして盃に短冊をのせて流すと、詠み人により披露されます。太宰府天満宮で「曲水の宴」が開催される頃は梅が満開の季節で、合わせて楽しむことが出来ます。
福岡県京築地方の2市5町には、30を超える神楽講が残り、春や秋の祭りでは五穀豊穣や無病息災に感謝する舞を地元の神社などに奉納しています。
神々をなぐさめ、祈りを捧げるために大昔から奉納されてきたのが神楽です。神楽はもともと神殿で神官により奉納されていましたが、時代の流れとともに神楽の踊り手は神官から民衆へと変化していきました。
「京築神楽」は神迎、御福、大蛇退治、御先、蛇神楽、弓神楽などの演目が、京築地区の神楽講や神楽保存会により舞われます。
「鬼すべ神事」は寛和2年(986年)に、道真公の曾孫にあたる大宰大弐の菅原輔正によって始められたと伝えられています。1月7日に太宰府天満宮(福岡県太宰府市)で行われます。
鬼すべ堂前に積まれた松葉や藁に、御本殿で起こされお祓いされた御神火で、火がつけられると、一瞬にして炎と煙が夜空を焦がします。「燻手」(すべて)と「鬼警固」、「鬼係」に分かれた氏子や奉仕者のおよそ300人による、炎の攻防戦が繰り広げられます。「燻手」が大団扇で煙を鬼すべ堂へ送り込み、鬼を追い出そうとすると「鬼警固」は堂の板壁を打ち破り、堂内の煙を外に出して鬼を守ります。板壁が破られると荒縄で48ヵ所を縛られた鬼は、「鬼係」に囲まれて堂内や堂外をまわります。堂内では神職が、堂外では氏子会長が鬼に向かって煎り豆を投げ、卯杖(うづえ)で打ち、鬼を退治して、火の祭典「鬼すべ神事」は終了します。
幸若舞は、中世から近世にかけて(16世紀頃)能と並んで武家たちに愛好された芸能です。しかしその後、時代の変化の中で廃れてしまい、今では国の重要無形民俗文化財に指定された「大江の幸若舞」のみが残っています。
能や歌舞伎の原型と言われ、最初に舞われたのは約700年前とされている、日本最古の舞楽です。一ノ谷の合戦の平敦盛と熊谷直実を基にした「敦盛」(あつもり)は特によく知られています。
毎年1月20日に大江天満神社(福岡県みやま市)で奉納されます。
宇佐市(大分)の宇佐神宮は、全国4万社余りの八幡社の総本宮です。
宇佐神宮に祀られている八幡さまは応神天皇の御神霊で、欽明天皇の32年(571年)に初めて宇佐の地に御示顕になったと伝えられています。
「宇佐神宮例大祭」は、大小合わせて150近く行われる宇佐神宮の祭りの中でも、もっとも重要度の高い祭典です。皇室より幣帛(へいはく:神前に奉献するもの)を賜り、多くの参列者が集まります。
豊栄の舞や直会などもあります。また、宇佐祭と呼ばれることもあります。
毎年、欽明天皇32年2月初卯の大神ご顕現ゆかりの日の3月18日に斎行されます。
全国に4万余りもあると言われる八幡様の総社宇佐神宮(大分県)で行われる祭りです。
神様は本来、その地を守り動かないとされていますが、宇佐八幡神は国家の重大事には大隈や奈良まで輿で行幸したとされています。神様を乗せる神輿の発祥が、宇佐神宮だと言われている所以です。
「宇佐神宮夏越し」では、宇佐八幡神を3基の神輿に載せて大鳥居から頓宮に向かい練り歩きます。3基の神輿を中心とした神輿行列は総勢約250名にもなり賑やかです。かつては3基で先着争いをしたため「けんか祭り」と呼ばれていました。
毎年7月26日から最初の金曜日、土曜日、日曜日の3日間に行われます。
周囲を海に囲まれた壱岐(長崎県)に伝わる「壱岐神楽」は約700年の歴史を持っています。
「壱岐神楽」は、他の多くの地方の神楽と異なり、現在でも神職のみが舞うことを許されている、神事に近い形態を保っています。
「幣神楽」「小神楽」「大神楽」「大々神楽」の4つに大別されますが、大々神楽は磐戸神楽とも呼ばれ、演ずるのに7~8時間がかかる「壱岐神楽」の中でもっとも厳粛・丁重なものです。特殊な神事にのみ奏せられます。
長崎県五島列島の各地で伝承されている五島の神楽は、室町時代(1338年~1573年)後期に今の神楽の原型が生まれたとされています。現在では「五島神楽」とひとつの呼び方で呼ばれることが多いですが、細かく見ると島によって神楽の形も変わります。「上五島神楽」と呼び、下五島の神楽と区別する場合も少なくありません。五島神楽は、畳又は板張り方一間の広さを舞座とします。太鼓や笛に合わせ、躍動的な舞や衣冠装束の優雅な舞、表情豊かな面舞などに特色があります。秋の例祭等で数多く奉納されます。
元亀年間(1570~1573年)に壱岐(長崎県)の神職が、領主である平戸の松浦氏の居城を訪れ、壱岐の御竈祭(みかまどまつり)の神楽を舞い、その後に平戸の神職も加わったと言われています。「平戸神楽」は神社の祭式にあわせて小神楽(8番)、中神楽(12番)、大神楽(18番)、大大神楽(24番)に別けられています。神職によって伝承され、平戸神楽を代表する演目の「二剣」は、真剣3本を使うことから別名「三本舞」と呼ばれています。
「湯立神事」は湯立神楽とも言われ、日本の伝統的な神楽の形式のひとつです。
竹を刺し注連縄を張った中に大きな釜に湯を沸かし、その釜の回りでは舞が舞われます。刀を持った神職によって、清めなどの古式が粛々と行われます。その後、神聖な湯を笹でかき回しながら、何度も観客に向かって湯が飛ばされます。湯がかかると、無病息災などのご利益があるとされています。
長崎県長崎市内の諏訪神社で、「長崎くんち」(毎年10月7~9日)の中日に行われます。
長崎県対馬市の和多都美神社では、旧暦の8月1日に「古式大祭」が行われ、「命婦の舞(みょうぶのまい)」と呼ばれる巫女舞が奉納されます。その発生については明らかではありませんが、近世には世襲的に継承されていたことが確認されており、その淵源は中世以前に遡るものとみられています。白衣白足袋、袴に千早(ちはや)を着た命婦が、囃子太鼓を打ちながら神楽祝詞を唱えた後、右手に神楽鈴を持って古風な神楽歌をうたいながら四方舞を舞います。日本の芸能史上、最も古い形態の舞のひとつで、神楽の原初的姿である往時の巫女舞を考えるうえで貴重な伝承と評されています。
長崎県五島市三井楽町貝津郷の神社に古くから伝わる、勇壮な獅子舞です。
正月行事のひとつとして、貝津神社で「獅子起こしの儀」がある正月の3日に、氏子の家々の座敷で無病息災を祈り披露されます。
貝津神社で悪魔払いをした男獅子、女獅子に天狗の面をつけた猿田彦が、組み太鼓と笛の音に合わせて舞いを披露、道中舞、天狗の乱舞、宮巡り舞の三部からなる構成です。荒れ狂う獅子も最後には、猿田彦の天狗に従い宮巡りの舞を踊ります。
「中江岩戸神楽」は、約1,400年前に創建された荻神社(熊本県阿蘇市)の春秋のお祭りで奉納される神楽です。春は4月10日、秋は9月30日に舞われます。
中江岩戸神楽は、天の岩戸の神事を主体に、240年ほど前の明和の時代に始まったと伝えられています。
三十三座の舞は、銅版葺き・ヒノキ張りの舞台の中江神楽殿で、「五方礼始」に始まり「大神」で終わります。宮神楽、里神楽、宮中雅楽や久米舞いなども取り入れ、優美に構成されたものです。
庄内神楽は、庶民の楽しめる里神楽として古くから伝承されています。安永7年(1778年)には、奉納が行われたという記録が残っている歴史のある神楽です。
庄内神楽祭りは毎年11月3日に開催され、町内から12の神楽座が総出演。大蛇退治、戸開き、天之注連(てんのしめ)などの演目が披露されます。舞のテンポが早く、太鼓や笛のお囃子(はやし)が賑やかなのが特徴です。
農業神が姫神をめとる「御前迎え」の儀式で、火をテーマとした勇壮な祭りとして知られています。熊本県阿蘇市や周辺の市町村一帯で五穀豊穣を願う、田祭りのひとつです。
火入れ式が阿蘇神社で行われ、大火文字焼きでは、2つ「火」の文字が山の斜面に浮かび上がります。2つの「火」の文字が組み合わさると「炎」の文字。祭りの名物です。そして、阿蘇神社の縄でくくった茅束に火をつけて勢いよく振り回す「火振り神事」が行われます。大火文字焼きや阿蘇神社の火振り神事は毎年3月中旬ごろに行われます。
「御獄神楽」は、宝徳元年(1449年)、豊後国(大分県)の守護であった大友氏第14代当主大友親隆が、日向行縢山での薩摩の島津軍への戦勝を記念して創建した御嶽神社で奉納されたのが始まりとされています。
総演目数は33番あり、口伝によって伝承されています。各演目は登場、中心の舞、退場の三部構成が基本で、大太鼓、締太鼓鉦、横笛の演奏を伴って、五方礼始、天沼矛(あまのぬぼこ)、天孫降臨などが勇壮に舞われます。
熊本県八代市の八代神社の祭礼に行われる行事が「妙見祭」で、北極星と北斗七星を神格化した妙見神に対する信仰に基づいています。そして、妙見神の乗り物のひとつとして畳4枚ほどもある大きな亀蛇(がめ)が登場します。
妙見神の乗り物とされる、華やかな笠鉾、木馬、獅子、奴獅子や奴、木馬、笠鉾、亀蛇などが連なる行列を神幸行列といいます。亀蛇は文字通り、蛇のような頭と尻尾と亀のような身体を持っており、妙見神はこの亀蛇に乗って、八代に上陸したと言われています。獅子舞いなどとともに、「亀蛇演舞」が行われます。
国の重要無形民俗文化財に指定されています。八代神社の祭礼「妙見祭」は毎年11月に行われます。
宮崎県高千穂町に伝わる「高千穂の夜神楽」は、毎年11月中旬から2月上旬にかけて行われます。
秋の実りへの感謝と翌年の豊穣を祈願し、各部落の神楽宿で奉納されます。神楽宿は普通の民家のことで、毎年変わっていきます。
彦舞、太刀神添、岩潜、七貴人、御神体、雲下しなどの三十三番からなる神楽で、弥生時代の農耕儀礼から縄文時代に遡るような舞まで、文化的にも貴重な民俗芸能とされ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
椎葉山(宮崎県)と呼ばれ、独特の生活文化圏を維持してきた椎葉村には、下福良地区、不土野地区、松尾地区などに26もの異なる神楽が伝えられています。由来は分かっていませんが、十根川神社(宮崎県東臼杵郡椎葉村)に御社体として祀られている室町時代(1338年~1573年)中期と鑑定される女面や、古い形態を保つ神楽の唱教(唱え言)などから、神事の古い形をとどめている神楽と考えられています。椎葉の神楽は、観光神楽と違い集落の神聖な例祭としての雰囲気を色濃く残し、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
欽明天皇の御代(540年)、高千穂峯に近い背門丘に社殿を建てニニギノミコトを祀ったのが始まりとされる、霧島神宮(鹿児島県霧島市)で行われる神事です。
豆は「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあるとされています。日本では室町時代以降、風習として定着してきました。霧島神宮の神楽殿前広場で行われる「節分豆まき神事」は節分祭で、厄除、開運が祈願されます。「節分厄除開運特別祈願祭」では、追儺(ついな)の豆まき式が年男年女によって行われます。毎年2月3日の節分の日に開かれます。
霧島神宮(鹿児島県霧島市)には昔から神楽が奉納され、昭和初期頃まで続いていましたが、「霧島神楽」はいつのまにか姿を消してしまいました。
その後、町内の旧家に、累代田の神舞などの神楽が受け継がれて毎年奉納されていることがわかり、霧島神楽復活の足がかりとなりました。神楽縁起の古文書なども頼りに、平成9年9月23日、最初に6座が霧島神宮に奉納され、その後さらに2座が追加されました。
現在は毎年秋分の日に奉納されています。
「新嘗祭(にいなめさい)」は、宮中祭祀のひとつです。収穫祭にあたるもので、その年の収穫に感謝する意味合いを持ちます。
霧島神宮(鹿児島県霧島市)の「新嘗祭」は、神職が御神前に今年の新穀をお供えして豊作に感謝します。そして、境内で奉納行事が行われ、子供神輿や踊り連、霧島新ハンヤ節、俵踊り、棒踊り、ひょっとこ踊りなどが奉納されます。また、境内でみことや相撲、弓道、ゲートボール大会などが開催され終日賑わいます。毎年11月23日に行われます。
宮崎神宮(宮崎県宮崎市)で行われる流鏑馬(やぶさめ)は鎌倉時代の武士の装束などを身につけた射手たちが、馬を走らせながら的に弓を放ちます。五穀豊穣を祈る神事として、秋の実りを祝います。
「宮崎神宮流鏑馬」がいつごろから行われていたのかははっきりしないようですが、一時途絶えていたものが昭和15年(1940年)に復活されました。神武天皇祭を奉祝する神事の一つとして行われ、220mの流鏑馬馬場を馬で疾走、80mおきに立てられた60cmほどの的3つに次々と矢を放ちます。毎年4月3日に開催されます。
宮崎県西諸県郡高原町の狭原神社に伝わる苗代田祭は、毎年2月18日に行われる行事です。
春に行われる予祝祈願の田遊び神事のひとつで、別名「ベブガハホ」とも呼ばれています。「べブ」は牛、「ハホ」は主婦(妊婦)を指し、この両者を中心に代かき、種まきなどの農耕を模した所作がユーモラスに演じられる神事です。ほとんどは演者たちの即興で、地元のきわどい言葉も飛び出し、境内は爆笑に包まれます。
300年以上前から続けられている神事と云われています。
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開催: 2024年04月29日
開催: 2024年04月28日
開催: 2024年04月21日
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