歴史・文化

時代で巡る九州~近代

軍艦島

日本の近代化を支え、
世界遺産への一歩を踏み出した

 1890年以降、製鉄用原料炭を供給する海底炭鉱の島として栄えた端島(はしま)。 鉄筋高層アパートが林立する姿が戦艦「土佐」に似ていたことから、「軍艦島」と呼ばれています。島には小中学校や病院、寺社、警察、映画館、理美容院、パチンコ店などがあり、「ないのは墓地と火葬場だけ」といわれるほど完結した"都市"でした。最盛期(1960年)には人口5267人、人口密度は東京の9倍以上に。1974年の閉山後は無人と化しましたが、2009年、「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として世界遺産暫定リストに記載されました。

  •  島内3カ所の見学広場で、当時の生活についてガイドが説明してくれます。赤レンガが残る一角は事務所の跡で、右側にある階段は「入坑桟橋」と呼ばれた坑道入口へ続いています。鉱員たちは地下600mまで垂直に下りた後、さらに2500m水平に進み、各作業場へ。坑内は気温30度、湿度95%という過酷な労働環境でした。高台に建つ白い灯台は、閉山の翌年、夜の明かりを確保するために設置されたものです。

  •  貯炭ベルトコンベアーの支柱が規則正しく並ぶ先には、白い壁の端島小中学校。その左隣は、317戸を擁した島内最大の鉱員住宅・65号棟です。戦争中にもかかわらず建設が進められ、1945年に完成。軍艦島の炭鉱がどれほど重視されていたかが分かります。建物はコの字型をしており、屋上には幼稚園がありました。各家庭のキッチンはステンレス製、床はコンクリート製で、かまどがありましたが使用されていなかったそうです。

  •  1916年に建設された30号棟(正面)は、日本初の鉄筋コンクリート高層アパート。錆びを防ぐため、窓枠は木製でした。31号棟(左)には家族用の共同浴場や郵便局があり、午後8時以降は通話料が安くなるため、公衆電話に行列ができたそうです。1950年代後半、「三種の神器」といわれた白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の全国普及率はそれぞれ7.8%、20.2%、2.8%でしたが、軍艦島では全家庭に備えられ、豊かで文化的な生活を送っていたようです。

【軍艦島】
住所:長崎県長崎市高島町字端島
TEL:095-822-5002(やまさ海運株式会社)
運航日程:毎日午前・午後各1便 ※季節によりダイヤ変更あり
料金(軍艦島上陸コース):大人(12歳以上)4300円、子ども(6歳以上12歳未満)2150円
※長崎市施設使用料含む。荒天等により欠航・上陸不可の場合あり。全便予約制、誓約書への署名必須
URL:http://www.gunkan-jima.net/
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